2021年06月
2021年06月26日
学校に行かないで毎日ギフ寺&ギフテッドカフェ・・・学校がしんどいのはわかるけれど
緊急事態が派出して2ヶ月ぶりのリアルギフ寺。
みなさん,ギフ寺カフェ計画で盛り上がっている。おうちでスコーンを焼いてきたり,レシピで準備してきたりと。
やる気だけは十分伝わってくる。たあだし,ロードマップが見えてこない。さすがに,どのくらいの資金があれば可能なのか,難しいですね。子どもたちと話をしながら,クラウドファンティングの準備にとりかかることに。具体的にプランを示しながらかな。
子供達は会話の中で学校に通うことのしんどさを話しているわけです。本音の語れる仲間であり,皆さん学校に魅力を感じている人たちではないので,共感するわけですね。どんどん話が展開されていくわけですね。拙僧は子供達の話を聞きながら・・・ふむふむと。
毎日ギフ寺があれば学校に行かなくて良いとか,カフェも毎日やれば学校をサボれると・・・いろいろ知恵を絞るわけですね。
挙げ句の果てに,「学校に行かないで毎日ギフ寺にくるのに賛成な人は挙手を」と。民主主義は大事だし,ギフ寺を住処にしたいというみなさん気持ちもわかるのですがね。「賛成多数で可決されました」とはならないわけで笑。愚僧にも色々と俗世とのしがらみがあるわけで。
子どもたちの思いは十分理解できるのですがね。本来,学校が子どもたちにとって居心地が良くて,魅力ある場所なら問題はないのですが。それが機能していないところに問題があるのですね。多くの人は,学校に行くのが当たり前と思っている。
それはなぜなのか・・・考えさせられますね。
ギフ寺カフェ計画を進めながら,もう少し先を子どもたちとイメージできればいいな。カフェは,子どもたちの実行機能を育てるための遊び。
2021年06月24日
ギフテッドの多様な学びを可能にする特別支援教育
早朝に左膝に鈍痛が。日曜日には登山なので今日は養生することに。懸案だったLD学会の抄録を完成させ,発表のエントリーに取り組むことに。悪戦苦闘すること2時間。学会の本文の文字数は,空白も数えている。そこで文字数を文書を削って無事エントリー。満足した採択されなくてもいいな。
来年は京都の国際会議場。遊びをメインにして発表も。その頃は高齢者の仲間入りしている・・・学会も最後だね。
掃除機をかけながら考えていたのが,京都での発表。
おいらの周りには,支援級は神経発達障害のある子どもが行くところで,多様な学びというより,高等支援学校に向けたプログラムが用意されている。特別支援教育=障害児教育という図式で捉えている人が多いようだ。当然,ギフテッドは支援級の対象外と。
本来,特別支援の目的は,個々の教育的ニーズに応じた支援が行われなければならないのに,現実には金太郎飴の教育。時には金太郎も必要かもしれないが,誰もが金太郎飴で満足するわけではないのだ
ギフテッドの中には,支援級をうまく利用しながら目標の大学に入ったケースが増えてきている。春になると嬉しい報告が届く。子どもにとっては,学びの場として利用したり,居場所として利用したり,別室登校変わりに利用したりと,多様だったと思う。
子どもたちとのニーズと先生の柔軟な思考と創意工夫が噛み合い,次のステージに進むチャンスを得たと言える。なかなか興味深い実践が展開されてきた。ただ,ニーズとは合わない金太郎飴の教育から不登校になったケースもある。
そこで支援級にとどまらず特別支援教育を受け,大学に進学したケースをまとめて,ギフテッドにとって必要な支援を明らかにすることは,ギフテッドに必要な支援だけではなく本来の特別支援教育のあり方を問えるかもしれない。
応援隊の講演でも最後に語ったのだが,ギフテッドの教育はLearning Diversity(学びの多様性)を実現するための道標ですね。
彼ら彼女らのニーズに答えられる教育こそが,インクルーシブ教育そして多様性社会や共生社会の実現に結びついていく・・・そんな妄究が。保津川下りを目標に頑張りましょう。

2021年06月23日
実行機能を育む「ギフ寺カフェ計画」・・・報酬系は実行機能キャパ全開
ギフテッドの子どもたちと関わる中で抱く疑問が,興味関心の差によって効率に大きな差っがあるのか。本人の好きなものに対しては能力を発揮するのに,関心のないことに対しては取り組もうとしない。名付けて特異的実行機能障害と。
LD研究に掲載されたジョージ・マクロフスキーさんの「実行機能から見た学習困難と算出困難」を読んでの妄究。
実行キャパシティとして7つのクラスターをあげている。比較的早期から必要とされるクラスターとして,注意,取り組み,最適化,そしてより高い学年で育つクラスターとして効率化、記憶、見立て、解決をあげている。
ギフテッドは,注意や取り組みなよりも記憶や見立て解決なのどの能力が早い段階に発達する。いわば,実行機能の非同期発達と言えるかもしれない。彼ら彼女らの幼少の頃を想起したら頷けるケースも多いはずだ。
マクロフスキーさんは,実行キャパシティの活性化は内的欲求(脳の報酬系や自己決断したゴールが引き金となっている。あるいはそれらに維持されている)と外的要請(環境的な条件や他者からの要請に応えようとする状態)に依存していると述べている。
ギフテッドの実行機能は,内的欲求には活性化しても外的要請には答えてくれない。
確かに,内的欲求で報酬系や自己決断したことが活性化につながるが,維持するためには工夫が必要だし,自己決断は多くの場合揺れ動く。目の前にもっと,心を驚かされるものが登場したらそちらに飛びついてしまう。自分で決めたからと言って,ゴールに向かってひた走ることができるかは別。
ギフテッドは,外的要請ではキャパが活性化されない,内的要求でも自己決断の質が問われるのだろうな。周りがお膳立てし促した形で自己決定してもそれは浅い処理になってしまう。決めたことでもコロコロ変わる。
深い処理にするにはどうしたらいいのだろう。悩みは尽きない。
2021年秋ギフ寺カフェ計画始動・・・「知能の実」と「実行機能の実」を統一させ進化させていく,そこで実行機能キャパシティの活性化と報酬系について深く考察をすることに。
妄想の段階で,子どもたちからはバイト料金は発生するのかとか儲けたらおいらを雇ってギフ寺を毎日するとか・・・問われているのはおいらではなく子どもたちの知恵と実行機能なのだ。儲けるためには何を為すべきた。面白い,これで博士論文を書いちゃおう笑
2021年06月20日
マスキングするギフテッド・・・子どもや保護者の困り感と周りのギャップ
「この子に障害があるとは思えません。もっとお子さんを愛してください」
何十年も前に,ギフテッドのお子さんを持つ母の困り感にたいして,学校の先生が語った言葉。
Gifted Childrenの抱える問題は、常に関わっている保護者には敏感に伝わる。でもその保護者の思いをなかなか汲み取れない教師の存在。以前よりも「ギフテッド」という言葉を知る人は増えてきたが,それを理解している人となると本当に少ないのだろう。
ギフテッドが,基本的な処理の弱さを高い能力で補っている。隠れディスレクシアという言葉を使ったことがありますが,弱い部分をハイスペックなアナロジーで補償していく。当然,学力的には何ら問題が見えてこない。彼らの抱えている問題や困難が,マスキングされることで日常場面では彼らの姿がなかなか見えてこない。
学校では,彼らの抱えるバランスの悪さ(実行機能の特異性・・・特異的実行機能)高知能にマスキングされてしまう。見えづらい,それとより問題なのは従来に枠組みで子どもを見ていること・・・「これくらいできれば問題ない」。
実際に,学校の場面なマスキングは可能だし,彼らのスペックからしてのらりくらりしていても,ある程度課題はこなすことはできるわけだ。多少なりとも学校は抑制が効いている場と考えてもいいかもしれない。でも家庭では抑制が効かなくなり,興味関心の赴くままに行動していく。保護者にとっては日々苦悩するわけだ。
「自分でやりたいと言って始めたのに,すぐに飽きてしまう」Twitterで保護者がよく嘆いている。きっと,その時はやり高んだろうと思う。そして少し齧って満足してしまう。齧り具合がきっと違うのだろうと・・・テスティングみたいなものですかね。口に含んで味わい満足し,次の酒にうつる。おいらにはできない。気に入った酒を探し続けているのかもしれない。
ある方が,嘆く保護者のツイートに「いつかきちんと子どもの力となっている」と,そんな趣旨のrtが。
問われるのは,どこまで子どもを理解しているのか。どうしてもバイアスがかかってしまうから難しいの。
2021年06月18日
家の側に熊が出た・・・こんなことがあるんだ
日曜日から絶不調,火曜日まで続いた。火曜日はバイトを休もうかと思ったくらい。いよいよコロナかと・・・。火曜日の夜,冷酒を飲みながらデパ地下の大トロを食べたせいか,水曜日には復活していたいた。
水曜日にモエレ沼公園走りに行ったら,8キロランがシーズンベスト53分27秒。日曜日は61分30秒もかかっていた。ちなみに,木曜日は50分55秒。本当に日曜日はしんどかったんだ。少しずつは体が動き出してきた。キロ6分も夢ではなくなってきた笑
今日は,起きて講義の後にどの山登るかと考えつつ,スマホを見ると防災速報が,なんと家の側にヒグマ出没と。こみを捨てに行くと,消防車は通るは上空にはヘリコプターは飛んでいるは大変なことに。
映像を見ると,時々ジョギングしている見慣れた道を熊が走っている。まさか東区で熊がでるとは。東区は札幌では最もから離れている地域の一つ。半世紀以上住んでいるが,熊が出たのは初めて。モエレ沼公園で出会ってもおかしくなかった。
熊は,北上して丘珠自衛隊そして,いつも走っている丘珠緑地を抜けて最後は,カムイの元に召された。
北海道ヒグマ三大事件というのがあって,三毛別,福岡大学ワンダーフォーゲル部そして丘珠と。丘珠の熊事件は明治11年,円山で手負になって最終的に丘珠の集落で人を襲って撃たれた。撃たれた熊は札幌農学校に運ばれ,学生たちが焼いて食べたと・・・この時の学生たちの様子は書けないですが,この時の熊は剥製になって丘珠小学校にいたと・・・?
今回の熊が撃たれた場所,からは1キロほどしか離れていなかった。1.5世紀が経とうとしているのに。
三毛別と福岡大の話を読んだら,熊の恐ろしさが伝わってくる。可哀想とかいう人とか,本州から来て熊に餌をやろうとする馬鹿どもにはぜひ読んで欲しいですね。特に福岡大の話は,熊の恐ろしさを亡くなった方が書き留めている。
Twitterでも,後ろから襲われた40代男性画像が出ていたが,成熊だったら確実に死んでいたと思う。
今日は,熊よけ鈴を持って三角山へと。何が起きるか分からないから。








