2017年06月
2017年06月29日
コメについて真摯に考える・・・知的Giftedの相談と特別支援教育の援助者の学びについて
くそな日々が続いたが,腰の方も治って来たので軽く走ることができた。4キロほど走った。来月の30キロマラソンは少なくともスタートラインに立てそうだが,どう考えても30キロの完走は難しい。20キロは頑張ろう。
ブログの方には,相談の方が寄せられるのだが。おいらの力では,答えが見つかるわけではない。そこで,皆さんの力をお借りすることにした。今回は,英単語が覚えられないという質問だったので“羊飼いしゃん”に聞くことに。すぐにもみじちゃんの写真とともに返事が戻って来たよん。ありがたいですね。
きっと今まで関わった保護者や当事者の皆さんが,凸凹に合わせた様々工夫を重ねて来たわけだ。それを財産としていけないかな。
そうか凸凹掲示板みたいに,相談に出て来た疑問にみんなで考える掲示板があればいいのだが。ただ運用や運営には十分に配慮が必要だな。問題は常にスーパーバイズが必要になってくるということかな。掲示板を作って秘密で質問をして返事をもらう。返事を吟味し加工しながら掲示板に載せる。
みんなの掲示板・・・なんちゃって。これはホームページに載せた方がいいのだが。運用がね。時間のあるトミーにお願いしないと。
そうなると会員制になってしまうし,悩みどころ。
話は変わり
ブログのコメに特別支援教育というか特別支援学級に対する疑問が載っていた。前近代的な枠組みから抜け出せない現実があるね。ツイッターに「特別支援教育については、いろいろ思う事はあります。でも春まで封印。なんか語ってもね。先が見えん」と書いたのだ。来春の「釈放記念講演」で語るので(笑)
この領域は,バカな壁状態。それも経験則だけで正しいと思っている。エビデンスはないだろう。
ちなみにコメに私のところで勉強したいとの書き込みが。そのような物好きはたぢけんくらいかと思っていた。周囲にはほとんどいないので歓迎どす。ただし,何を学びたいのかテーマをもってきてくださいね。真摯に向き合うよーん。
理論面だけではなく,実際に子どもと遊んだり酒を飲んで発達障害や特別支援教育について熱く語りたいのであれば,8月13日〜15日に旭岳であるぷりずむのキャンプもありますよ。もちろん登山はしますが。前の週は大学の図書館で学業に専念しているので声をかけてくれれば付き合えるかな。
以前は月1で勉強会をしていたけれど。いつか真っ当な教育が日の目を見る時代が来るはずだ。そんな思いのある人の受け皿が作られればね。
優秀な後輩たちが札幌を去ってしまってマンパワーが落ちてしまったのね。彼らが戻って来るまで頑張らんとね。
明日は脱獄して学業に専念だな。
2017年06月27日
海の日に向けたデザイン作り・・・詳しくは大阪で
残り151日,といっても月曜日の朝は格別。マンデーブルー降臨だね。
頭から何もこぼれ落ちてこない。思考が停止している(笑)
つまらない話を聞く羽目に。脱獄すればよかった。
ついついマインドワンダリングへと・・・スライドのデザインを考えていた。
知能はいくつかの能力の総体。そして誰もが凸凹を抱えている。
おいらも凸凹を抱えていた。それが枕かな。
ただ凸凹の差が大きくなるとバランスを崩ししんどさも増すことに。アメリカンクラッカーを考えてみるとわかりやすい。小さな振幅なら安定しているが,大きな振幅にナルト不安定さがます。
そこから,知能とはというテーマへ。
多重知能理論から自分の知能はどうなっているかを考えてもらう。
さらにWISC-Ⅳからみたらどのように見えるのか?CHC理論からどのように見えるのか?シートに記入してもらう。
それを踏まえて自分の凸凹を考える。その原因ってなんだろう。非同期発達。
WISC-Ⅳから考えたジェットエンジンと新たに加えた実行機能の役割を果たすコックピットのモデル。自動化の問題が残るのだ。不得手な部分が自動化できない。4気筒エンジンと駆動系を考えてみるかな。4輪駆動でも・・・課題だね。
凸凹が「ふつう」を強いる学校という場では,最も生きにくさを生み出している。特に簡単なことができないと,どんどん自尊感情のメモリも下がっていく。
では,どうすれば・・・。待てば海路の日和があるのか・・・。
ここからは大阪でのスライドでお話しします。企業秘密(笑)ブログでは語らないことに。
是非,足を運んでくださいね。おいらの取り組みにも新たな展開が・・・乞うご期待。
2017年06月25日
海の日のフォーラムの枕・・・凸凹を探るツールとしての心理検査
今日も札幌は雨。それも本降り。雨のせいか腰というか左の脇腹に鈍痛が。腰からくる痛みか,新たなに脇腹の筋肉を故障したか。アラカンを前に体はボロボロ。
さてやる気の神が降臨せず,だらだらと無為に時間を送ってしまった。
海の日まであと3週間気合を入れない。
話の枕を考えることに
凸凹は誰にでもあるものフラットな人間なんて存在しない。ただ,凸凹には個人差がある。凸凹がそれほど目立たない人もいれば,目立つ人もいる。
凸凹の差が大きいほどより凹が目立ってしまう。
誰もができる簡単なことができない時に「なぜできないの」って思ってしまう。
知的Giftedの子どもたちはなぜ凸凹が大きいのだろう。
それは非同期発達・・・一緒に能力が育ってこなかった。
ヨーイドンをしてもスタートがバラバラだった。
どこに発達のばらつき(苦手なところ)があるのだろう?
協調運動,読み書き,書字,感情のコントロール・・・。
人間の知能はいくつかの能力が合わさって作られている。だから得意な能力と不得意な能力があって当たり前。
ただ,学校というところは「平均」を大事にする。そのために得意な部分よりもできない部分やうまくいかない部分に目がいってしまう。たくさんいいところはあるのにね。
そのためにうまくいかないことだけが積み重なっていく。
なぜうまくいかないのだろう。その原因はどこにあるの?
それを知るツールの一つとして心理検査がある。
ただ,心理検査だけでは知的能力しか見えてこない。それでも,検査を手がかりにしながら認知の凸凹について考えながら,自分の脳と心はどうなっているか探っていこう。
そんな感じかな。
2017年06月24日
なぜ知的Giftedは学校でしんどいのか・・・「ふつう」神話の中で
金曜日にもリハビリに行って腰の治療。筋肉が硬くなっているから故障しやすくなっている。そろそろ大丈夫かな。ぼちぼちと走り出さんとモエレの30キロが間に合わん。今年も20キロまでかな(笑)
またまた週末雨で,山にもジンパにも行けず。こんな日は妄究に励むことに。
認知能力の凸凹は誰もが抱えている。その差が大きくなればなるほど生きにくさや増幅する。
なぜ知的Giftedは学校でしんどいのか・・・。一つは学校の価値観,もう一つは学習システムと言えるかもしれない。
価値観については,しばしば引用させていただく木地雅映子の本を手がかりに学校の価値観と知的Giftedを対比して考えてみよう。
藤田香織さんが,木地雅映子「氷の海のガレオン」の解説で,子どものメイン社会=学校は,今も昔も閉鎖的なので,「遺物」を受け入れられるだけの余裕はありません。教師や<健全な人気者>たちの決めた「ふつう」の基準からはずれた言動を起こすと,居場所はどんどんなくなっていく。
木地雅映子さんは著書の「快楽の園」で,『普通』などという言葉に実体がなくとも,あたしたちを取り巻く大人の大多数が信じている限り。『普通』は絶大な強制力を持って存在し続ける。
千野帽子 木地雅映子「マイナークラブハウスの森林生活」の解説で,学校が息苦しいのは,学級・学年・部活動といった場で生徒たち自身が,「世間への同調」をいつの間にか発生させてしまうからなのです” 「世間への同調」は,異質なものに対しての攻撃や排除につながる。時には,“いじめ”につながるかもしれない。
知的Giftedは「ふつう」とい基準から大きく外れている。高い目的意識や創造性が「同調」を困難にしている。完璧主義ゆえに適当に合わせることは難しいことが想像できる。
次の一手として,日本の学校教育が何を目指しているのかを知るべく文科省の学習指導要領HPを眺めたのだが・・・分からん。
学習指導要領「生きる力」と。そのために「脱ゆとり教育」なのか。校長せんせーや教頭せんせーは理解して使っているのかな。ぶっちゃけ,学校に行かなくても生きる力は育てられるだろう。
子供たちが未来社会を切り拓くための資質・能力を一層確実に育成。うーむ,資質と能力ってすごく曖昧。資質は育成可能なのか・・・?生まれつきの性質や才能をさすのでは?「学習指導要領が果たす役割の一つは,公の性質を有する学校における教育水準を全国的に確保することである。」と。そのためには,個人差を排した同一のカリキュラムが求められるわけだ。
なるほど,「資質・能力の育成」と言いながら「資質」を生かした教育ではなく「能力」を育てる教育に重点化しているのかということか。
少し読んだだけで目眩がした。誰が学習指導要領を読むのだろう・・・真っ当に読んでいる人はいるのだろうか。バリィさんに解説してもらうか。
頭が整理つかないので今日はここまで。「ばけものを好む中将」第6巻を読むことにしよう。
明日は真っ当なブログを書かんと(笑)
2017年06月22日
多重知能理論と実行機能・・・知的能力をどのように考えるか
水曜日はリハビリへと。筋肉が張っている状態。ほぐしてもらって電気治療。気持ちよかった。それにしても鼻炎アレルギーの薬は眠気を増幅させてくる。
眠気と戦いながら海の日の準備を。
知性というか知的能力をどのように考えるか。
知能とはきわめて普遍的な精神能力であり、推論、計画、問題解決、抽象的思考、複雑な考えの理解、 経験に基づく学習能力を含む。これは教科書から学 んだり、限られた学問的能力や試験でよい成績を上げることではなく、私たちの身の回りの出来事を広く、そして深く理解する能力である。すなわち物事全体 の現状を把握し、その仕組みを理解し、これに基づいて何をなすべきかを見つけ出す能力である。
(ウォール・ストリート・ジャーナル1994年)
今は,ガードナーさんの多重知能理論に代表されるように知能を単一モデルとしてではなく,知的な能力を多岐に見て行こうとしている。メルレヴィン神経システムにもつながるわけだ。
今朝ツイッタランドにGifted関連でガードナーさんの内省的知能の話が出ていた。自己の理解,生活の統制,自己作業を行う能力としている。澤口さんは,8つの知性を総括しコントロールする「知性」のスーパーバイザーとしての「自我」を考えている。
WISC-ⅣもK—ABCIIもCHC理論に基づいて検査が組まれている。その意味で多重知能理論はスタンダードな考えと言える。
知能そのものを活用するという意味でスーパーバイザーの存在が必要。メタ認知といっても良いか。実行機能とも言えるか。
認知的アンバランス・・・メタ認知を含めて知的能力のいくつかに凸凹を抱えているということ。
では,知的Giftedの知能をガードナーのモデルで考えた時にどのようになるのか?そうは簡単に分けられないよな。一人一人が違うのだから。
眠いから脳が動かないわ。続きは週末かな。でも,やっぱり話の枕はおいらの分身チャーリーブランに登場してもらい,「普通」とはについて語ってからかな。
また雨の週末みたいだし。








