2016年04月
2016年04月29日
土曜教室の「真っ当なこと」を問いながら・・・自分でできるサイズを教室を
アンバランスさの魅力・・・きっとそんなことを布団の中で考えていた。
土曜教室はある意味,発達障害と向き合うというより,アンバランスさと向き合ってきたと思う。
相談会をしながら,WISC-Ⅲのプロフィールの凸凹に惹きつけられた。それがGiftedに繋がっているのだろうな。
通常ではみられないケースと関わることができ,じっくり考えることができたのは財産だな。
この段階で,やっと見えてきたこともある。教えてもらった分,返さないとね。
ごぶサタクラブに顔を出した。代表をおり相談役なので控えめに。
子どもたちは,大人になりうまくいっている子もいればしんどい子もいる。
やれることはやったが,ボス的に言えばほんとささやかなことしかやっていない。
ボスの論文を読みながら土曜教室の意味について振り返っていた。あの臨床は,「真っ当なこと」と言いながら学校では絶対にできない・・・きっと。「共同戦線」という言葉を使っていたが,振り返ると子どもとスタッフではなく,保護者も加わっていたのだ。子どもだけではなく保護者ともていねいに付き合っていた。あくまで,相互に子どもを一番理解しているパートーナーとして。学校では保護者に対しても指導する対象としての「構え」が前面に出てくるよな。
ごぶサタに出て久しぶりと後輩と話をしたのだが,土曜教室臨床は楽しかった。後輩が,語っていたのは教室の深さ,例えばSSTや読み書きを指導する機関はある。でもそこではあくまでの指導機関でしかないわけだ。子どもと向き合うのではなく,障害(社会性の問題や読みの苦手)と向き合っている。教室には指導を通して,子どもだけでなく保護者ともていねいに向き合える。
ちょっとラディカルだったかな。
なんとか月1でもできないか・・・。オフシャルにやるのは無理としても・・・まあ始めた時はほとんど趣味の領域だったし。なんちゃってギフテッドプログラム。日曜日ならなんとか・・・次の日が辛いか(笑)考える意味はあるな。
2016年04月28日
自主シンポは自分の臨床研究・・・主に北の異端研の取り組みを語るよ
昨夜,布団で考えていたことがすべて飛んでしまった。
すごーく面白かったのに。思い出そうとしても出てこない。
自主シンポの原稿の指示が届いた。
「ギフテッドそのものの話というよりは、支援の話を中心に、それぞれされている事や考えている事について話題提供」するようにと。さらに「こんな事を考えながら支援をしてます、こんな観点があるといいのかも?、こんなニーズがあったよ、、などなど」ともふもふ。
整理することに
はじめに:北大土曜教室や教育現場において,高い知的能力を持ちながらも読み書きに困難を抱える子どもの支援について取り組んできた。臨床を通す中でWISC-Ⅳの指標間のアンバランスさに注目し小論やブログで論考してきた。
それを読んだ保護者が,我が子も同様な指標間でのアンバランスさを示すかも・・・そう考えてセカンドオピニオンを求めてくるケースが多数寄せられた。・・・どこの馬の骨かわからんのに・・・。
相談の中身は大きく分けて二つある。
一つは検査機関でWISC-IVをとったがFSIQと4つの指標の合成得点だけ教えられ,高い知能ということ以外に丁寧な説明やサポートが受けられなかったこと。どうなんでしょう。
もう一つは,子どもの抱える困難を学校や担任に子どものを伝えるのだが,支援はおろか理解にすら結びつかないと。どう伝えたらいいのだろう。
そして,どう支えたらいいの?
相談の文脈から伝わるのは,より自分の子どもを理解し,できるなら子どもがうまく学校でやっていける方法を知りたいという保護者の願い。相談をすることでそうは簡単に素敵な解決方法は見つからない。
保護者から送られてくる子どもの姿とWISC-Ⅳの数値をながめながら,子どもの困難と認知的特性を推し量り,少しでも援助の手がかりになればという視点で取り組んできた。保護者の中には,小論を持って学校関係者に理解を求めようと。まさしく北大の実学・・・なんちゃって。
今考えているのは,子どもたちと繋がること。接点を持つことで,支えになればと。
ということで,シンポでは事例や保護者の相談を踏まえながら,知的Giftedの抱える生きにくさその背景にある認知的アンバランスについて触れながら望まれる援助について考えてみたい。
ところでカエルンジャー&ヤメルンジャーは,悲労戦隊ヤメラレンジャーも兼任することに。
こんな国に誰がした。
政府自民党は悪うございません・・・地方を切り捨てこんなに日本を発展させたのですから。なんせ御上ですから間違いはございません・・・今も多数の支持者がいるのですから。きっと責任は馬鹿な国民のせいですよね。自己責任ってやつですかね。
2016年04月27日
「教える」ことよりも大切なのは子どもとの『共同戦線』・・・まったりと創りあげるのだ
二日間お酒を控えた。しかし酒を減らしても根本的解決にはならなかったという現実。
カエルンジャー戦隊とヤメルンジャー戦隊を兼任することにしよう。
マンデーブルー&ワーキングブルーという感じかな。
なんかひたすら眠い。このままお布団の中に引きずり込まれそう。
今日も土曜教室の関連の研究紀要を眺めていた。
ばりぃさんとなんとなくこの春も引き続き「なんちゃって隙間支援」をやっている。二人で◯笑いすることがある。
支援者には,「子どもをなんとかしよう」と思いが強い分「教える」「指導する」・・・そんな「構え」があるの。 そこは,「子どものニーズ」というよりは自分たちの「教える」ということに対する「こだわり」=「構え」だよね。「教えなければ」「育てなければ」そんな思いがないと,成り立たない業界だから致し方ないか。
よく「子どもの目線に立って」という言葉を聞く。どうしたら立てるのだ。視線を子どもたちの高さに合わせればいいのか(笑)そんな支援者を見たことはあるが,そういうことではないよな。どうしても 「教える側」と「教えられる側」に溝ができてしまう。いくつかの論文の中で,アセスメントに基いたオーダーメイドの教育必要性が強調されていた。それは,あくまでの「教える側」の視点。さらなるステップアップが求められる。
ボスが「土曜教室の実践でみえてきたことは,発達障害のある子どもを対象とする教育が,その子どもに関心を持つ複数の大人と子どもによる相互的な関わり,それは大人と子どもの『共同戦線』でもあるが,その中に成り立つのではないか」と。常に子どもとの「共同戦線」の必要性を語ってきた。
それが学校で可能なのか?おいらは答えは持っていない(笑)言えるのは,きっと,学校という場では最も難しいわけだ。だから,違う場を求め続けて18年。まあ,自分の目の前だけに子どもがいるわけではない・・・なんとなくの世界。
土曜教室でも「教える」ことに対するしがらみがあったが,それがごぶサタ倶楽部という「ゆるい居場所」をつくり「一緒に時間を共有」することで,「教える」という呪縛から解かれた。でも大切なことは人間として相互に学んでいる。今は代表から相談役に退いたが。
ごぶサタ倶楽部のスタッフの山好きな仲間で作ったのが,ごぶサタ山楽部。しっかり,土曜教室とごぶサタの精神を引き継いでいる。けっして遊んでいるわけでない(笑)。この倶楽部は,旭川学習障害児親の会の登山の支援?を行ってきた。旭川の講演ついでに大雪に登っていたので,一緒にやりますかと声をかけたらとんでもない人数に。
これも「ゆるさ」の上に成り立っている。「登頂」という目標を持つことで,仲間としての「共同戦線」をはることができる。仲間って一つの価値観に縛られるのではなく,多様性を認めながら付き合える集団。京都の花見やちびギフくんたちとの登山もこの延長線上だね。
昨日の話題も今日の話も結局は,なぜ個人的にGiftedと関わっているのか?一緒に楽しみたいからかな。
2016年04月26日
「平均」とは何か?当たり前の教育とは・・・ボスの論文を眺めながら考える
昨日は通常のお酒の1/3程度で抑えることに。
確かに朝方の目覚めは変わらないが,体のとんでもない気だるさ感はかなり改善されている。でもかったるいのは変わらない。ということは,「仕事に行きたくな→深酒→早朝覚醒→体と心がだるい→仕事に行きたくない→(仕事)疲れた→振り出しに戻る」といカエルンジャーサイクルが出来上がるのか(笑)深酒が酒に変わってもこのサイクルは変わらない。
悪循環を断つには,ポジティブ思考・・・グリーンジャンボを当て仕事を辞めてNPOを立ち上げ趣味で働くのだ。
研究紀要を読んでいた。ボスが2本の論文を書いていた。
一つは,「第1部 基礎から臨床へ」で「学習障害」概念の再検討
もう一つは,「第2部 臨床から基礎へ」で「土曜教室の活動の意義」
ふむふむこの二つの論文をパラパラ眺めた。今度きちんと読み込みますm(_ _)m
読みながら考えたのは,「平均」とは何か・・・そして外れ値とは?
Giftedにより関わりが深くなってきてから常に考えている。
「平均」という枠組みから外れる高い能力と低い能力・・・それを彼らや彼女らは持ち合わせている。
そのアンバランスさは,常に制御不能な飛行機で,多大な不安定を生じている。
うまくコントロールできない自分の存在。「普通」への同質化。
学校でも社会でも平均の枠内に収まらないことによって問題視される。
通常は,平均に収まるように抑制をかける。
再度戻って来る平均とは何か・・・とりわけ学校で求められる平均とは。
「平均」という虚構に対し先生も周囲も求め続けている。
そうなる枠組みに当てはまらない子どもたちは,学校ではなかなか評価されないことになる。
しんどくなるよね。
子どもがパラレルキャリでもう一つの自分を見つけるのは難しい。
だから土曜教室的な存在が望まれるのだ。それは,ギフママの会の相談のなかでも多数触れられていた。
ボスが土曜教室に対して「真っ当なこと」とか「当たり前の」ことをしてきただけと。その件について,後者の
論文の最後に「8.土曜教室を超えて」に,「すなわち,一人ひとりの子どもたちがていねいに関わりあうなかで知識が伝えられていき,それぞれの子どもの内に独自の学びが育つようになることが,教育における基本であると考える」と述べている。
本来なら学校というシステムでやれればいいわけ。何故できないのかと?チビギフくんたちは,雨のなかでもと山を楽しんだようだ。その中の一人が,三角錐のおにぎりを作ってきたのだ。三角山というイメージがあったんだろうね。おにぎりの平均値から外れ値。でも,こんな独創的で奇抜なアイデアを持つ子どもは素敵だよな。
今回の登山も「真っ当なこと」を学んだ教室の仲間たちと取り組めたよーん。ボスの言葉を借りれば,超きわめてささやかな取り組みでしかないのだが(笑)仲間がいると安心感は大きいのだな。
2016年04月25日
WEB論文集の振り返り・・・やはりうーんですね
残り月曜日が100日となった。今日も早朝覚醒。
月曜日が減るとともに加速度的にしんどくなっていく。
この調子の悪さはなんだ。日曜日の深酒がたたっているのか。
少し酒を抜くかな・・・抜けないのでちょっと減らすかな。
昨日,サクサクとWEB論文集の原稿が進んだ。
でも1日経って読み返すと「うーん」ですね。
文脈にズレが生じている。
研究発表の形をとると,データの妥当性とともにていねいにデータを読み取ることが大事。
むくむくと湧き上がる妄想を語ってはいけないの。
決して,作文ではないのですね。
ですから「認知的抑制」をかけて奇抜なアイデアや創造性は封印することに。
抑制をかけるのは苦手なのですが・・・。
でも淋しいから,なんちゃって研究者だから,風桶理論は当日のポスターでこっそりのせることにしよう。
「知的Giftedの背景となる神経心理学的基盤について検討」は・・・今後の研究に期待したい・・・で終えることにしよう。
きっと横浜で学習会の方で語りますね。きっと面白いだろうな。
土曜日は残念登山だったので。
金曜日はごぶサタに顔を出してから登山に行くかな。
今日はほんと不調なので,さっさと風呂入って寝よう。








