2015年08月
2015年08月31日
知能検査物語はウェクスラー検査の誕生…おまけは10月31日の講座の案内
2015年08月30日
敗戦のランナーかく語り記〜来年20回目の完走がタストランかな〜
今日は北海道マラソンの日。
実は、今年はスタートラインに立てるかかなり怪しかった。
【言い訳】
4月からの走った距離が790kmくらい。3月からから4月にかけて左肩を痛めて、ほとんど走れず状態だった。走り込まねばならない6月が100km程度、膝を2回痛めて走れず状態が続いた。見直すと去年は4月の段階で200km走っていた。5,6月も250km、7月300、8月240km。トータルで1250km走っていたのだ。6割程度ですね。7月の半ばまでスタートラインに立てんかと思っていた。
【ごぶサタのみんなへ】
いつもはごぶサタ倶楽部のみんなにタイムイム指定をして北大教育学部の前で待っていてもらうのだが、今回は自分で読めなかった。練習はkm6分前半で走れるようになったのは最近。長い距離はほとんどやっていないという状態。
学部の前で、ごぶサタのメンバーに「走らないと言っていたのに」とか言われた。ごめんなさい。ほんと、今回は何時くらいに学部にきますかというのが答えられる状況ではなかったのね。来年は鍛え直すね。冬は筋トレとツドームとグルグルグルルグル◯◯酸かな。
【講評】
北海道マラソン1991年から走っていますが。なんかな、魅力のないマラソンになっちゃった。
集団嫌いの孤独なランナーのレースが、群れるのが好きな集団のスポーツに。その上、並んでいても仲間を見つけると人を乗り越えて前に行き、おしゃべり三昧。おば様方勘弁してください。並んでいるという感覚がないのかな。
北大の農場の北にある平成のポプラ並木の手前は、男子ランナーが肥料を大量放出。生態系に影響がなければ。救急車両が来ても止まらないランナーも。
なんか参加していて楽しかったというのがね。マラソン大会というよりイベントになってしまったな。
還暦まで走ろうと思っていたが、それほど魅力のあるマラソンではなくなったな。でも、もう一度
【結果と来年に向け】
ちなみに記録はネットで3時間33分41秒。18kmで失速、25kmで足がとまりました。その後は5km36分。結局は、その程度の練習しかしてこなかったということですね。研究も同様。
北海道マラソンは魅力のない大会になったが、きっちりと来年はお世話になった想いとお別れをこめて走ることにしよう。そのためにも明後日からトレーニングをするもん。ちなみに今回で22回参加し、完走19回でした。来年はお別れにふさわしい20回完走。
もう少し小さくて楽しいフルマラソンを探そう。
2015年08月29日
適切なアセスメントができないなら検査はするべきでいな〜知能検査物語①〜
金曜日はやさぐれていた。なかなか自分を抑制できなくなっていた。今更、なんで研修に行かなければならないのか?ごめんね、あなた方から学ぶことはあまりないの。教えてあげることはあっても。上から目線(笑)さっさと脱獄してナンバーカードを交換に行ってきて、軽く走った。
知能検査物語の続き
知能検査の歴史を振り返ると知能指数は人間を区分する客観的方法として誕生してきた。スタンフォード・ビネー検査ですね。ビネーといえば、日本では鈴木ビネーや田中ビネーが使われていますね。主に知能指数を測定するもので、判定や判別に使われてきました。
現在、主流となっている個別式知能検査(WISC-Ⅳ、DN−CAS、K−ABC−Ⅱ)は、知能指数を測定しるというよりも、一人一人の認知特性を把握するツールです。検査結果から、個々の子どもの学習支援を考えるわけです。
エッセンシャルズ心理アセスメントレポートの書き方シリーズ訳者の上野線先生はあとがきにカフマンさんの言葉を紹介している「知能検査は、子どもの学力を予想し、安楽な椅子に座ってその悪い予想(子どもの失敗)が当たるのを待つために実施するのではない。アセスメントで得られた情報(例:得意な認知スタイル,望ましい学習環境)を子どもの活動に活かすことで,その予想を覆す(kill the prediction)ためにある」
まさしく、知能検査は子どもの活動に生かし、苦手な部分にバイパスを工夫するためにあるのだ。
適切なアセスメントができないのであれば、子どもの学習に生かすことができなければ、やる意味がない。
ボス知能検査について「体温計」ではなく、「聴診器」と。そして「聴診器を使いこなすためには、体内の音がどのように発生しているのか、その音はどのような意味を持っているのか、通常はどのように聞こえるのか、と言った知識をまず有していなければならない」と述べている。
検査の結果を読み取ると時になぜこのようなデータが出てきたのか、このデータにはどんな意味があるのか、通常ではどのように処理されるのか。いくつかの痕跡から、その子の持つ情報処理過程なり学習過程に迫っていく。
朝活でした。宿題もしないと。
ちなみに10月17日の学習会は、北大文系共同棟で行う方向です。場所が決まり次第最終案内を出しますね。S.E.N.Sと共催なので部屋の都合上申し込みはしてくださいね。
2015年08月27日
心理検査論序その2、知能とは?IQとワーキングメモリ?
さて序の続き。当たり前のように「知能」とは何ぞやと・・・。そんなことを深く考えようと思っていたら、非労線隊隊長の辞表を出したというつぶやきが。ムムム戦隊はどうなるのか。相方にメールしたら返事が「snoopyの憧れのキーワード⚠危険です⚠キケンです⚠」と。うーん、ずっと片思い。残された時間は、退職届はずっと前から日付を入れるだけの状態。
そんな夢のような話はさておき、知能の話。いくつか紹介。
ウェクスラーさんは「自分の環境に対して,目的的に行動し,合理的に思考し,効果的に処理する個々の能力の集合的または全体的なものである」
Snyderms&Rothman(1988)は、1020人の心理学者、教育学者が「知能」について議論した結果、抽象的思考・推論能力(99.3%)問題解決能力(97.7%)知識獲得能力(96%)。
ウォール・ストリート・ジャーナル(1994)は知能とはきわめて普遍的な精神能力であり、推論、計画、問題解決、抽象的思考、複雑な考えの理解、経験に基づく学習能力を含む。これは教科書から学んだり、限られた学問的能力や試験でよい成績を上げることではなく、私たちの身の回りの出来事を広く、そして深く理解する能力である。すなわち物事全体の現状を把握し、その仕組みを理解し、これに基づいて何をなすべきかを見つけ出す能力である。
どうでしょう。なんとなく見えてきますか。実行機能でいう「問題解決」、「推論」、「プラニング」が知能の中核と言えるかな。
今日は、久しぶりに「ワーキンブメモリと教育」を読んでいた。気になったのは「ワーキングメモリと知能検査」の節。IQとワーキングメモリの理論的な関連があるという考えと異なる心理的機能をと。WISC-Ⅳでの内部相関をみればさてと、考えますね。なるほどと思ったのは、ワーキングメモリと流動性推理が異なる機能を持っていると。
これって、知的ギフテッドの理解に一つの方向性を示すものだ。さらに結晶性知能は過去の学習経験に基づく能力であり、流動性知能を基盤としている。
おっと最後にエピソードバッフアについてはアセスメントできていないよと。
知的ギフテッドの認知特性とも合致するね。
アロウェイさんは、ワーキングメモリが学力と高い相関を示すと。でも知的ギフテッドは例外。改めて知能について考えさせてくれる。
ちょっとまとめないと。学校で高次な知的能力(抽象的思考・推論能力、問題解決能力、知識獲得能力)を育てるというのは、ちょっと無理かな。個別化されていないとうか。個々のニーズに合っていない。
かなり暴走してしまった。明日修正ということで。
2015年08月26日
知能検査物を語る前に(序)・・・物語は20世紀に始まった
ちょっと知能検査について語る前に、自分の頭の中にあることを整理しておこう。いや、物語の始まる前の枕だな。
心理検査について話、と言ってもメインは知能検査。心理検査では幅が広すぎので知能検査について考えることに。
おいらの専攻は・・・なんだろう。研究室は特殊教育臨床心理学ゼミ。H高くんのおいらの紹介文には「発達障害の子どもたちの学びの支援をテーマに,心理・教育の立場から実践」。なるほど、「心理の心」と「教育の心」を兼ね備えた実践家(笑)心理が先なのが意味深い。
「教育の心」だけだと、目の前の子どもなんとかしようと思いあれこれ工夫するが、実は子どもの音質的な原因は見えてこない。経験則から支援が成功することはあるかもしれない。でも、経験則が活用できないケースに当たると対処できない。
そんな思いを持っておいらが大学院の門を叩いた。時は1999年、間違って門が開いてしまった。そしてダラダラと院生生活を謳歌しモラトリアム状態の生活がはじまった。相方は、ずっと遊びに行っていると思っていた。そんな話ではなくて、実は大学の門を叩いたときには、研修会に参加し、少しは勉強していたし、検査もなんとなく知っているし、ちょっとは出来る人間かなと思っていた。
しかし、現実はそれほど甘くない。子どもの実態と検査結果を付け合わせてレポートを書いても中身の薄いものしかできなかった。
「学校の先生みたいなレポート」
「WISCがわかっていない」
そうです、検査はできて数値の意味は分かるけれど、その数値を織り成している対象の子どもの姿が見えてこない。検査結果と子どもの抱える困難が結びつかない。データからではなく、観念論に塗り固められたレポートが。だから適切な支援ができない。自分の無能さを認識できたのね。
土曜教室の当たり前は、検査結果と実態を結びつけアセスメントして支援に生かす。当たり前ができていなかった。それから学びました。いや今も学び続けおりやす。
WISC-Ⅳになった時には、院生たちと勉強会を開き、親の会に協力してもらいデータを取って分析を積み上げ、旭川で事例検討会を何度も開き、JSSCで輪読会や事例研をし、自分たちの解釈の精度を上げていった。
精度を上げて行けたのは、それまでに学んできた認知神経心理学の基礎的な知識が存在していた。「教育の心」だけでは検査を使ってのアセスメントは難しい、だからこそ「心理の心」が必要なのだ。その意味で、H高くんの紹介文は見事ですね。この先使わせてもらおう。「教育の心」だけでは限界がある。
一応、自らの生成過程を踏まえつつ知能検査についてのお話を続けていこう。








