2014年04月
2014年04月30日
ギフテッド研究所・・・新たな冒険に(笑)
4月1日からのは知り始めた距離が237キロ。(15キロほどウォーキングですが)。4月でこの距離と言うのは20世紀以来。快挙・・・喜んでばかりもいられない。3月末にのった体重のメモリに目を疑った。人生最大の危機!なんと体重が58キロになっていた。人生の最大値。さすがに、冷や汗。せめてこの時期54キロにまでは落とさんと。走り続けて1月。でもね、なかなか目標までは達せず。未曾有の危機は続く。大会前には北海道マラソン前までに52キロくらいに絞りたいのだが。嫌いな筋トレをするかな。
そんなことはさておき、旭川の学習障害親の会のA塚さんからメールをもらった。その中で「ギフティッド・・さらにおもしろさに磨きがかかりそうですね。北海道にLD・ギフティッド研究所が出来たら、私を事務員で雇ってください(笑)」まあ、人を雇える研究所は作れればですね。なんせマイノリティなので。
ちなみに自分がイメージしている研究所は「北海道ギフテッド・学習障害発達援助センター」ですね。おもてなしの流れの心理屋のやる研究所は、エビデンスに基づいたアセスメントと学びの支援、そして保護者のサポート。ボランティアで検査やアセスメントをやっているうちは研究上の経営なんておいらには無理だな。
ギフテッドは、高い精神性と論理的な考え方が、通常での学校の曖昧さに日々いらだつわけね。医療機関や相談機関では、ギフテッドでは診断出来ない。診断出来ないと言う事は、支援もできあにということ。学校の場では、よほど奇跡的な出会いがないと難しいのね。
日本の特別支援教育は、特殊教育から転換して10年が経つ。特別支援教育の目的は「 障害のある児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握し、適切な対応を図ることが特別支援教育における基本的視点として重要である。」と述べている。ここで大事なのは、「障害のある生徒」・・・ギフテッドが障害のある生徒と言うカテゴリーに入るのか、さらに特別な教育的ニーズをがあるということでギフテッドのための特別支援システムが作られるのか。そのシステムを支える人材はいるのか。
日本LD学会の上野さんや柘植さんは、ギフテッド教育について具体的な支援の日宇用な段階に来たと述べている。どのような道筋を示すのか?
学習障害の流れを考えると、80年代後半に学習障害の存在がマスコミに取り上げられ、行政が動き出したのが90年代前半。具体的な支援に動き出したのは21世紀に入ってから。「ギフテッドに関する調査検討委員会が立ち上がり」、定義及び疫学的調査、さらに指導法の検討が行われえるのかな。これは10年はかかるな。
ラスト10年・・・5年位かな。ちょっと冒険の旅に出るのも楽しいかな。
2014年04月29日
検査をしながら考える~酔っぱらいの戯言~
ビール園でジンくんの誕生日を楽しんできた。心地よい酔いを楽しんでいる。
酔いの勢いを借りて…・
最近、自分で検査するよりもスーパーイズする方が多くなってきた。
久しぶりに自分で検査をかけた。おもてなしの心理屋なので(笑)
いろいろ仮説は立てていた。ほぼ、自分の考えていた事がデータとして見ることができた。ただ、某相談機関のWISCーⅢのデータによって、自分のトータルなIQの予測を見誤らせた。
相談機関の数値が示された段階で、先入観を持って検査に臨んだ。検査を進めながら、「あれれこの人の思考はどのようになっているだろう」。はっきりいて驚かされた。やっぱり、臨床や特別支援教育をするのなら自分で検査をしないとだめだよね。
まず、謝っておきます。「ごめんなさい」。検査の意味を分からん人間は、特別支援教育に関わってはいかんのね。それは、対象とする子どもを理解出来ないと言う事なのね。この業界の人は、少なくともマスターまで学ぶかスーパーバイズを受けられる環境を作るべきね。それだけの専門性を身につけてくださいということね。
さて
特別支援学級では知的障害、相談機関では、PDDとADHD。まあ、何の役にも立っていないということ。言い換えると、レッテルを貼ったからって認知特性に応じた支援が適切に用意されてこなかった。
いい加減、作業と体力作りと生活単元の障害児教育は、捨て去るべきだと思うのだが。まあ、この業界は変わらんだろうな。
自分が検査をかけながら、「おー」。そんな答えが出てくるのか。ちょっと感動。ちゃんとさ、君のニーズに応じて学習支援を受けてきたの。そりゃあ、教えてもらえなければ答えられない事もあるよね。
流しの心理屋は、ノルマがないのでたっぷり時間をかけて検査をする。判定に使うよりその人を知るため、そして援助を探るために使うから。でもこのままでは、医療機関で心理屋なんかしたら生産性が低いからすぐに首切りだな。やっぱり一日一件おもてなしの心理屋で。
まあ、酔っぱらいの戯言ということで。
酔いの勢いを借りて…・
最近、自分で検査するよりもスーパーイズする方が多くなってきた。
久しぶりに自分で検査をかけた。おもてなしの心理屋なので(笑)
いろいろ仮説は立てていた。ほぼ、自分の考えていた事がデータとして見ることができた。ただ、某相談機関のWISCーⅢのデータによって、自分のトータルなIQの予測を見誤らせた。
相談機関の数値が示された段階で、先入観を持って検査に臨んだ。検査を進めながら、「あれれこの人の思考はどのようになっているだろう」。はっきりいて驚かされた。やっぱり、臨床や特別支援教育をするのなら自分で検査をしないとだめだよね。
まず、謝っておきます。「ごめんなさい」。検査の意味を分からん人間は、特別支援教育に関わってはいかんのね。それは、対象とする子どもを理解出来ないと言う事なのね。この業界の人は、少なくともマスターまで学ぶかスーパーバイズを受けられる環境を作るべきね。それだけの専門性を身につけてくださいということね。
さて
特別支援学級では知的障害、相談機関では、PDDとADHD。まあ、何の役にも立っていないということ。言い換えると、レッテルを貼ったからって認知特性に応じた支援が適切に用意されてこなかった。
いい加減、作業と体力作りと生活単元の障害児教育は、捨て去るべきだと思うのだが。まあ、この業界は変わらんだろうな。
自分が検査をかけながら、「おー」。そんな答えが出てくるのか。ちょっと感動。ちゃんとさ、君のニーズに応じて学習支援を受けてきたの。そりゃあ、教えてもらえなければ答えられない事もあるよね。
流しの心理屋は、ノルマがないのでたっぷり時間をかけて検査をする。判定に使うよりその人を知るため、そして援助を探るために使うから。でもこのままでは、医療機関で心理屋なんかしたら生産性が低いからすぐに首切りだな。やっぱり一日一件おもてなしの心理屋で。
まあ、酔っぱらいの戯言ということで。
おまけで、WAISをかける心理屋さんは、結果を踏まえつつどのような支援を組み立てるのだろう。学習支援の枠にとどまらず、その人の人生の支援にダイレクトに関わるのかな。中途半端な心理屋にはできないね。
ということで。ではでは。
酔っぱらいの戯れ言終了。
2014年04月27日
WISC-Ⅳによる心理アセスメントの輪読会~第3の波とヘッドスタート~
金曜日は大学で「エッセンシャルズWISC-Ⅳによる心理アセスメント」の勉強会があった。
皆さん遠くから駆けつけてくれた。ああら札幌市民がいない。予定の8時半を超え、9時半近くまでかかった。
H高君は、スカイプで参加。なんと研究室には女性の影が(笑)
さて勉強会の話
特筆すべきは「知識豊かな検査者の臨床的観察と賢明な仮説を立てる作業によって息を吹き込まれない限り、検査結果のプロフィールに意味がないということである。検査結果は、検査を受けた子どもや大人の人生をよりいものにするために用いられるべきである。それができないなら、わざわざ検査する必要はない」
この紙を拡大コピーしていろいろな相談機関に貼付けてこよう。ダメダメ、教室で後輩に、ぽちの助さんは反社会的だから管理職に絶対向いていないですよねと言われた(笑)違うんだな、自分の研究や考え方に妥協しない、ある種の完璧主義者だから体制の犬には向いていないのだ(笑)
議論の中で面白かったのは、ヘッドスタートと第3の波の関連。この動きはセサミストリートのたんじょうとも関連している。場面は、 黒人のスラム街。人形はゴミ箱からでてきて、フラッシュカードをたくさん用いた番組。記憶が遠くなので曖昧。「ヘッドスタート」とは、グーグル先生に聞きましょう「アメリカ合衆国の健康及び人的サービス省(Department for Health and Human Services、略称HHS)が1960年代の半ばから行っているプログラムで、低所得者層の3歳から4歳の子供を(環境不遇児)対象としたものである。」さらに「低所得者層の子供たちの健康な発育、発達を支援していくものである。プログラムとしては、子供やそれぞれの家族の資産状況に基づいて、子供の発達や学習のさまざまな側面に影響を及ぼすような支援を行う。」さらに全米障害児教育法(PL91-230)、1975年の全米障害児教育法(PL94-142)につながりIEPに関連している。
人種や生活環境の違いに寄る学力格差をいかに埋めるかが急務だったわけだ。
その意味で、知的能力と学力のディスクレパンシーを持つ学習障害この時期から支援の対象となったわけだ。
「第3の波は:心理測定的プロフィール分析」は、学習障害の子どもたちを支援をする上で欠かせないアイテムだった。しかし現実には、理論的にも曖昧だし臨床に十分に生かしきれなかった。そこで第4の波が登場。
それを踏まえて次回の勉強会は、個人内(イプサティブ)分析の利用についての継続議論からどす。
ちなみに勉強会の後に事後交流会(飲み会ではありません)があった。帰ったら時計が12時を回っていた。次の日、12キロ走り小樽に行き車の点検そして北大で教室。疲れた。やっぱり11時にはお布団に入らないと年だからこたえる。
さて検査の分析でもはじめるか
2014年04月24日
「相互発達援助~ともに喜び、ともに悩み、ともに成長してきたね~」本の題名
執筆のためのデッサン。酔いと妄想の世界ですが。
まずは、2010年の北大の研究紀要の章立てを確認。
「軽度発達障害児への教育的支援~土曜教室における支援を通して特別支援教育を考える~」(教育学研究院紀要111)
きちんとギフテッド教育の可能性について触れていましたね。
はじめに
第1章 LDをめぐる混乱
取り残された学習障害
北海道における学習障害の動き
公的支援が遅れる中での土曜教室の設置
第2章 北大土曜教室のシステムと役割
土曜教室の流れ
北大土曜教室の教育的意義
軽度発達障害の学びの場
アセスメントに基づいIEP
特別支援教育を具現化したシステム
保護者との連携
ギフテッド教育の可能性
第3章 土曜教室から特別支援教育を考える
理念としてのインクルージョン教育
専門性に裏付けられた特別支援教育
バリアフリーの鍵をにぎる軽度発達障害
さて、何を加筆するか?
序章では「ラノベの世界から発達障害を考える」これははずせない。ラノベの世界では、いかに発達障害と想定される人たちが共生しているか。やはり、オープニングは「ばけもを好む中将」の妹は初草。つづいてパパ聞きの織田らいか
追加する章は、一つは青年期の支援のページ。それとLDと何ぞ。そしてギフテッド。親の会の話も触れないと。佐藤剛さんの遺言でもあるしね、メインは、プリズムの子どもたちと登山かな。ジョンもつぶやいていたが、この事業に関してはきちんと援助されるべきだと思っているのだが。
第4章 青年期の子どもたちを支える~ごぶサタ倶楽部の取り組み~
青年期の抱える困難
付き合う事の意味
ともに育つ意味
第5章 旭川学習障害児親の会ぷりすむとの歩み
出会いと学習支援
アセスメントから学習支援
自尊感情を育てる登山
第6章 ギフテッドと特別支援教育
ギフテッドの定義
生きづらさを抱えるギフテッド
支援の方向性
最終章 相互発達援助を考える
こんな感じかな。ひとまず、こんなところですね。
本の題名は、「相互発達援助~ともに喜び、ともに悩み、ともに成長してきたね~」
まずは、2010年の北大の研究紀要の章立てを確認。
「軽度発達障害児への教育的支援~土曜教室における支援を通して特別支援教育を考える~」(教育学研究院紀要111)
きちんとギフテッド教育の可能性について触れていましたね。
はじめに
第1章 LDをめぐる混乱
取り残された学習障害
北海道における学習障害の動き
公的支援が遅れる中での土曜教室の設置
第2章 北大土曜教室のシステムと役割
土曜教室の流れ
北大土曜教室の教育的意義
軽度発達障害の学びの場
アセスメントに基づいIEP
特別支援教育を具現化したシステム
保護者との連携
ギフテッド教育の可能性
第3章 土曜教室から特別支援教育を考える
理念としてのインクルージョン教育
専門性に裏付けられた特別支援教育
バリアフリーの鍵をにぎる軽度発達障害
さて、何を加筆するか?
序章では「ラノベの世界から発達障害を考える」これははずせない。ラノベの世界では、いかに発達障害と想定される人たちが共生しているか。やはり、オープニングは「ばけもを好む中将」の妹は初草。つづいてパパ聞きの織田らいか
追加する章は、一つは青年期の支援のページ。それとLDと何ぞ。そしてギフテッド。親の会の話も触れないと。佐藤剛さんの遺言でもあるしね、メインは、プリズムの子どもたちと登山かな。ジョンもつぶやいていたが、この事業に関してはきちんと援助されるべきだと思っているのだが。
第4章 青年期の子どもたちを支える~ごぶサタ倶楽部の取り組み~
青年期の抱える困難
付き合う事の意味
ともに育つ意味
第5章 旭川学習障害児親の会ぷりすむとの歩み
出会いと学習支援
アセスメントから学習支援
自尊感情を育てる登山
第6章 ギフテッドと特別支援教育
ギフテッドの定義
生きづらさを抱えるギフテッド
支援の方向性
最終章 相互発達援助を考える
こんな感じかな。ひとまず、こんなところですね。
本の題名は、「相互発達援助~ともに喜び、ともに悩み、ともに成長してきたね~」
2014年04月23日
朝日新聞「子どもの未来 社会の役割」を読んでの感想
品川さんの鼎談「子どもの未来 社会の役割」
22日の朝日新聞夕刊に掲載されていました。
品川さんに白石一文さん安部昭恵さんがの3人が、「いま教育が抱える課題とその可能性」をテーマに語りあっていました。一応書評家としてコメントを。これが難しい。おいらの実力では、まとめきれないの。
前段では、今の日本の教育の置かれている現状。
同質化が要求される社会の中で、発達障害を持つ子どもは閉め出され、偏りのある子も伸ばし切れていない。以前の日本では、ミャンマーみたいに発達障害の有無にかかわらずどんな子も地域で受け入れられていた。
白石さんは、偏りのある人を伸ばせない日本からは新しいものをが生まれないと、語っている。発達障害だけではなくギフテッドを含む言葉。同質化は、新たな発想は生まれない。
北海道教育委員会は、全国学力テストで平均以上を目標としている。求められているのはそこなのか?品川さんの言うように、読めないから読みたくない、そのために学習にもどんどん差がでてくる。勉強のできなき子どもとレッテルを貼られ、自己肯定感も下がり、勉強からドロップアウトしてしまう。
教育に求められているのは何か?全国学力テストで1版をとることか安倍さんは、自ら考える力を育てる事を強調し、特性の生かせる社会の在り方を語っている。品川さんは問題解決能力や社会能力の育成。最終的には,社会規範に逸脱する事なく、将来自由に生きている力。それを育てるのが学校と。白石さんは、教育の最終目標は一番向いている仕事を見つける事と。
うーん、おいらは、自慢ではないが教育機関に26年在籍していたが、向いている仕事は見つけられなかった。いまも、自分に向いた仕事はなんだろうと日々鬱々としている。自分の教育で得た事は、向いている仕事ではなく学びと援助したい世界を見いだせた事。特性を生かせる仕事は見つからなかったが、特性を生かせるボランティア活動は見つかったというところかな。
この鼎談の面白さは、安倍さんの感性。彼女は、会いたい人にだけ会うようにしたら、変わり者ばっかりだった。でも、彼らは、世の中を作っている。確かに時代を作ったり、新たな研究や発明を想像してきたのは、ちょっと人と異なる価値観や感性を持っていた人たち。
日本の現代社会は、同質化を求めてしまう傾向が強い。特に学校社会は。だからこそ発達障害を持つ子やちょっと変わった子どもたちは集団から阻害され、生きづらさを味わう事に。
今、大事な事は、品川さんが前段で語っていた「教育は個人と集団の両輪で考えていく必要がある」ということ、それには「学校だけでなく保護者や社会の意識改革が必要」とを付け加えて〆にしますw。
賢い読者の皆さんは、直接記事にあたってください。
書評よりも鼎談をコメントするのは難しい。自分の頭の悪さをさらけ出してしまったw。
明日こそ本の「一人編集委員会」どす。








