2013年10月

2013年10月31日

区切りの訪問者1万人~迷想から妄想の世界へ~

2011年のクリマスに引っ越しをしてきてから1万人をカウントすることが出来ました。
2000年にホームページを立ち上げ、その後2度ほど炎上しかかり、ブログを転々とし、やっと落ち着いたかな(笑)
いやあ、いろいろとありましたw(笑)

いつの間にか来訪者も増え、最初の年は月に300人程度だったのが倍を600名を超えるようになりました。
ホームページを開いていた頃と同じくらいの読者数かな。おつきあい頂き、ありがとうございます。

当時は軽度発達障害に関する情報も少なく、保護者の方が多数訪れていた、今は、必要な情報はすぐに手に入れられる時代になりました。
ただ、必要な支援については、いまだ足踏み状態。混沌としています。

立ち上げたのは、北大の門を叩いた年ですね。それから13年がたちました。
この間、学びを深めることでいろいろと知識を身につけることができました。当時の自分の知識を振り返ると、赤面のいたりです。過去を消したい(笑)
それ以上に、「研究」…というより、「物事をどのように考えたら良いのか」、「考えるためにはどのような知識や情報が必要なのか」、「自分にたりない物は何か」…そんなことを問えるようになりやした。迷想から妄想の世界へですね。

臨床のベースとして土曜教室、ボスのスーパーバイズ、優秀な後輩たち、クローバーとぷりすむという二つの親の会が、私の「学び」の支えになったな。
しみじみしみじみ。

2年前ごぶサタのホームページでも触れた、アセスメントを中心とした相談に加え、IEP会議の取り組みがこの先の活動のメインにと考えています。
大雪カムイ塾でも土曜教室に取り組み、その場で現職の教員が「学び」を積み上げられればと妄想は膨らみます。
子ども、保護者、そして教師が学びを積み上げられる場...もふもふ。

明日東川に寄って下見ですね(笑)
その後、山に登り日曜の昼までネット難民どす。

まあ、これからも妄想を語りますのおつきあいください。



nhlgldac at 16:39|PermalinkComments(0)日記 

2013年10月29日

支援は目の前の幸せを積み上げること

この間、思い描いてきたシンポジウムが二つある。

一つは、facebookでシンポジストをゆる募した。
「今、軽度発達障害を持つ子どもたちに確かな学力を~一元論的特別支援教育からの脱却~」
フォーカスを当てたいのは、中学校の特別支援学級の在り方ですね。
高等養護学校の受験のための教育内容で良いのか。
中学校の教師は「高等養護学校ににいった困るから」という理由で作業や体力作りに力を入れる。
結果として画一的な教育が行われる。昭和の時代ならよかったかもしれない。
でも、いわゆる軽度発達障害を持つ子どもたちが在籍する中で、実態に応じた多様性のある教育は創造出来ないのか。
学習が成立する子どもに対して、なぜ保障するような教育内容を展開しないのだろうか。しっかり、議論したいと思うのだ。

今の所、覆面参加でYちゃんがゆる募に応じてきた。

もう一つは自閉症の療育の在り方考えるシンポ。
ここまでASD圏の人たちが増えた中で、どんな支援が必要なのか。ASDとはを含めて、改めて考えてみたい。
滝川さんは、「自閉症治療・療育はどうあるべきか」の中で「そのままありのままで生きられる方向に社会が向かってゆき、それがベースになったうえで、個々の障害の持つ子や親は、それぞれの価値観や人生観、そのおかれた条件に応じて、めいめい生き方、育ち方を選べるようになるのが一番良いかもしれない。」と述べている。(超おすすめ)
最後に「この子どもたちへの療育的な支援は、『いま目の前のしあわせ』を繰り返しひとと分ちあえる体験の積み重ねだろうと思う。」という言葉でしめている。
とっても深い言葉ですね。自閉症にとどまることく発達障害を持つ子ども・青年の教育に言えることですね。

さて、その視点にたったときに、彼らに関わる人間は何を求められるのだろう。
ASDだからこの指導法というのではなく、子どもたちとの関係性の中で見えてくると思う。

これもシンポジストをゆる募しますわ。ジョンだけは決定しておりやす。

一見すると異なるシンポジウムに思えるのですが、根っこは同じですね。
「いまの幸せ」を積み上げることで「未来のしあわせ」が見えてくる。
子どものニーズを探りながらやり取りをして行く中で、支援の方向性が見えてくる。
決して療育者や教師のニーズではないのだ。それを肝に銘じるシンポにですw。


nhlgldac at 18:58|PermalinkComments(0)日記 

2013年10月27日

アセスメントを通して何をやりたいのか~修論検討会で考えたこと~

週末は小樽に出かけた後に大学に顔を出した。
月に1回は土曜教室に顔を出そうとは思っているのだが、これがなかなか難しい。
今回は、後輩から煮詰まったメールが届いたので、修論の検討会に参加することに。
ドクターを斜めに出てはや2年、今更なんですが(笑)

データを眺めながら、残り2ヶ月、自分は何をやりたいのかぶれる時期。
おいらは、11月に脱走して増毛まで車を走らせて「北のきらめき」を買ってきたのが思い起こされる。

ピカにも加わってもらって検討会の方は、なんとかストーリーだけはできたかな。さすが現役ドクター。
久しぶりに頭を使ったのでヨレヨレと思っていたら、実は持病が悪化しているようだ。
有酸素運動もしていないし。

さて自分の研究ですね

保護者は検査結果に何を求めているのか?検査結果を理解することは、子どもの理解に繋がる。
その意味で丁寧な説明。保護者の方が理解出来る説明が必要なのです。
ただ、検査機関では十分な説明を責任を果たしていない。時には、数値だけを書いたもの渡してしまう。
検査の結果を伝えるのではなくてね、結果が意味することを伝えるのが大事なの。(ジンくん風に)

結局、家庭では検査結果はたんすのこやしになり、学校ではファイルのこやしになる。

保護者も検査結果をしっかり理解しようと、わからなければ質問をする。
そんな姿勢が大事ですね。相手は金をとって検査をしているんですから。

検査結果と日常の学習や生活での困難がどのように結びついているのか。この点が大事。
どのような支援が家庭や学校で必要なのか保護者だけではなく、教師も知りたいはずですよね。

検査結果なりアセスメントは、子どもに関わる人に共有されなければならないわけですね。
90年代に哲ちゃんとIEP会議を開いた時に、子どもに関係する人々が集って会議を重ねたことがあった。
一人の子ども、関わる人が集い多面的にみる。なかなk面白い取り組みだったと思う。(詳しくは「こころの科学81」にのっておりやす)

残念ながら検査と学校での個別の指導計画と保護者の願いがそれぞれ乖離している。
情報を共有することで連携ははじまり、新たな価値を生み出す...なんちゃって。

大雪カムイ塾は、もったいない検査をなんとかして分析、アセスメントそしIEP作成に繋げて行く。
子どもに関わる保護者や先生も入ってIEPを作って、臨床を重ねて行きたいのだが。そんな会議を開けるか。

下準備として、実態把握シート、IEPシートに加えてWISCのシートに加え4つの指標の下位検査間で差を見れる表を作った。アセスメントシートが出来れば、いよいよ汎用化。いかに臨床を重ねながら研究に持って行くか。

どこにしぼるかですね。親の意識変化、支援者の意思変化、臨床場面での対応の変化。子どもの変化。
どのように数量化ですね。



nhlgldac at 11:51|PermalinkComments(0)日記 

2013年10月24日

学びにこその人間の本質が~特別支援学級の学びと多様性~

名刺の肩書やemailの署名に「学びと遊びの科学専攻」を付け加えた。
最初は、「学び」だけだったのだが「遊び」も付け加えることにした。
それは、どちらも楽しく人生を生きて行く上で大切なことだからね。

専攻を付け加えたのは、常に研究者に端くれとして学び続けたいとの思いが。
研究者というとちと大仰だが、わからないことや疑問に思ったことについてはきちんと調べる。
探究心は次に進む活力…なんっちゃって。

さて、発達障害を持つ子どもたちの中学、高校の問題。
中学校における特別支援教育は従来の特殊教育路線をぶれることなく邁進している。
多様な子どもたちが特別支援学級に入ってきたにもかかわらず本質は変わらない。
将来の自立をスローガンに作業と体力作りがメイン。
高等養護学校に入るためのカリキュラムが用意されている。

伝統的な日本の障害児教育が、看板をすげ替えても脈々と行われているわけだ。
 
教室の後輩たちは、特別支援教育の現場に出て悩み大き日々を過ごしている。
土曜教室で学んだ「子どもの認知特性やニーズをベースにした支援」「褒めてのばす」とは、あまりに距離があるのだ。

つい、思うわけで。一人一人が異なる「心」を持っているのに、金太郎飴みたいな教育でいいのか?

中学校の特別支援学級は、出口を意識するあまりに画一的になってはいないだろうか。
学級見学にいくと、作業学習を見学させられ、「生活力」とか「生きる力」を育てる教育を行っていますと、説明を受ける。

ここを否定したら山のような敵を作るので(笑)でも、本当なのか。批判的吟味力。

百歩くらい譲ることにして、子どもの知的興味や関心、ニーズに沿った教育は「生きる力」に結びつかないのだろうか?
「学ぶ」というのは、人間の中核をなす一つだと思うのだ。(もちろん「遊び」も)
わかった時の喜びは、この年になっても格別なのだ。
「分かる」という体験こそ「生きる力」につながるような気がする。(ちょっとひかえめ)

今年も、何人かの素敵なお子さんにであった。検査結果を出して説明を求めた子、オリジナルの方程式を作ってくれる子、苦手な円の面積の問題を説明してくれる子、書字の苦手さを説明してくれる子。彼らは、自分の学びと向き合っているわけだ。苦手なことには、原因があり、対処する方法があるはず。

それが特別支援教育の仕事だと思うのだが。

子どもの認知特性や教育的ニーズに立ったら、もっと多様な教育のあり方が、見えてきてもいいのだと思うのだが。
ブログに書けるのはここまで。あとはFacebookかな(笑)




nhlgldac at 16:55|PermalinkComments(0)日記 

2013年10月22日

まずはアセスメント力を育てましょう

  そだちの科学21「自閉症治療・療育の最前線」を読んでいる。滝川さんの「子育てが、これこそが正しいという一本道ではない以上、それに対する支援も一色であって困る。」ふむふむ、自閉症にとどまらず発達障害、強いてはすべての子どもに当てはまる。

  にもかかわらず、診断名がついたら、その人のことを十分に理解しないまま指導プログラムが動きだしてしまう。「自閉症=TEACCH」という図式になるのはどういことになのだ。診断名によって支援の療法なり手法が規定されるのは大間違い。何よりも大切にしなければならんのは、その人の見方、感じ方、学び方などを知り、どんなニーズがあるか考え、支援を考えること。アセスメントだよね。これは教育の場だけでなく、発達障害を持つ人たちに対する支援や援助をする場であれば同じだろう。

しかし現実には、エビデンスに基づいたアセスメントが行われないまま、教育や福祉の場で指導や支援がおこなわれていないだろうか。
例えば,相談場面で一目見ただけで、「TEACCH」をやっている教育機関や施設を進められると。最近も経験した。
一人一人の子どもが違うという前提に立った時、自ずと多様な手法の組み合わせがあってよいはず。

子ども一人一人が違うのであれば、個々の認知特性やニーズからカリキュラムを作って行く必要があるのだが。その意味では、特別支援教育は、結局のところ既存の特殊教育の枠組みに当てはめただけだったのかな。

まずはしっかりアセスメントをやれる臨床に取り組みましょう。



nhlgldac at 19:22|PermalinkComments(0)日記