2013年07月
2013年07月31日
子どもの心に寄り添う~基礎と臨床をつなぐ意味~
キャンプの中でちょっとうれしかった話。スタッフの一人から教えてもらった。
ずっと小さい頃から関わってきた子どもが、おいらみたいになりたいと……。はい、どこがいいのだろう?こと業界では、異端、傍系、亜流なのですがね(笑)話を聞くと、子どもの心に寄り添いながら関わってくれた。将来きちんと子ども(発達障害を持つ)の話を聞け、支援できる先生になりたい……ということらしい。
自分ではそれほど意識をしたことはなかった。「子どもの心に寄り添う」というのは、臨床の師匠のスタンスだった。子どもの土俵に上がって、やり取りをする中で見えてくるものがある。子どもの土俵に上がらないことにははじまらない。
師匠には、医療機関でしんどいケースと関わりながら、いろいろ学ばせていただいた。その後、いろいろとあって距離を置くことになったが、そのスタンスは今も変わっていない。(この辺りは、一度自分で整理しないと)
「心に寄り添う」には、子どもがどう思っているのか?子どもの心に何が起きているのか?それを知ろうとすることから始まる。
そうなんだ、「心に寄り添う」ためには、子どもの心に起きたことを知らなければならない。知るためにはどうしたら良いのか。知るための手立てが必要。だからこそ、自分は認知神経心理学を学んでいるんだ(^○^)
すごい自分の中できすっきり。私的な「基礎と臨床を繋ぐ」意味はそこにあるのだ。
子どもの土俵に上がって相撲を取るには、いろいろな知識と技が必要。それを今も学び続けている。そしてHebbへと。
師匠がポツリとつぶやいた言葉。この(発達障害を持つ子どもたちの)教育はセンスだよ。センスって、子どもの心に触れようという思いと学びつける姿勢ではないのかな。
子どものおかげで自分の足元を見直す機会になったw。
○○ちゃんありがとう。海鮮丼を食べに行こうね。
2013年07月29日
学習障害と親の会~天狗山の鼻の上で考える~
週末、小樽の天狗山でクローバーのキャンプに出かけてきた。10年間参加したということで表彰状をいただいた(^○^)。天狗山のキャンプは今年で9回目。一緒に参加していた学生たちが、いつの間にか子連れで来ている。10年の歳月を感じる。
学習障害との出会いは、自分にとってターニングポイントになった。出会わなかったら………。学習障害というドアを開けたら、色々なものがでてきた。
その中でも二つの宝物が出てきた。一つは、大学院の門(学びの門)を叩こうとしたこともう一つは親の会との出会い。
大学院に関しては、その後、己の浅学に打ちのめされ、未だに学び続けている。これは、今までも語ってきたこと。後日、いかに打ちのめされたか語る時が(笑)
今日は親の会の話。肩書きを捨ててきた中で、北海道学習障害児者親の会クローバーで顧問と旭川学習障害児者親の会ぷりずむでアドバイザーは大切にしている。ぷりずむは立ち上げの頃からのお付き合い。
親の会と付き合い始めたのは何時の頃からだろう。今から20年くらい前かな。「LD」といえばレーザーディスクと言われ、S市の教育行政は「学習障害は存在しないと」と豪語していた時代。文部省が認めない限り、教育現場にLDと診断を受けた子供がいたとしても認めなかった。
親たちは、子どもたちの理解と支援のために声をあげていった。親の会との勉強会や飲み会を重ねることで、いつの間にか気のおけない関係に…(笑)一つの目標を持った同士になったと言えるかな。
TDr.の話ではないが、小児精神の領域や教育の世界で学習障害に取り組む人間は超マイナー(笑)障害児教育の世界でも同様だった。
1999年の佐藤剛さんが大会長だったLD学会は、今までの積み上げた力が大輪の花を咲かした。花のあとは種蒔き……人を育てる仕事。剛さんの遺言としていつもカリフォルニアの青い空から聞こえてくるのは、「親の会を大事に……北海道の学習障害発展は親の会を抜きにして語れないよ」と。
その年に北大に拾われ、ボスの手下に。土曜教室も北大に移り、教室では多くの優秀で怪しい後輩と関わることができた。大学を卒業しても、親の会のキャンプや登山に参加してくる。剛さんの遺言は、確実に北海道の地に根付かせることができたかな。
学習障害と親の会の出会いは、私にとってパラダイムシフトフトを起こしたのでしょうね。きっと出会わなかったら、暑い中今頃ネクタイしてライフォートにいてぺこりぺこり(笑)元事務局長としては行かないと駄目なのですが。自分にとって何が意味があるのか……見極めだな。
だからね、「今年もよろしく」という1本のメールで小樽の山の上まで行くのだな。
きっと、親の会は私にとって学びの原点なのかもしれない。
キャンプの中でとってもうれしい話が……それは後日。
2013年07月26日
Hebbその4,「行動は心からのメッセージ」なんちゃって
今日は昨日のブログからカタギーとfacebookでやりとりをし、Twitterで悩める若者が絡むという展開。
スタートは、「行動主義心理学の流れは脈々と特別支援教育に受け継がれているのではないだろうか。問題行動を減らすことやできることを増やすことに主眼がおかれ、その子どもの心は置き去りにされていないのだろうか………。」あたりなのかな。
ブログにもこの点を支持している方からコメをもらった。京都の聾教育について触れられていた。興味深いにで是非読んでね。
さて、カタギーのコメ「私自身近年の応用行動分析をしている人達の指導,支援はかつての行動主義心理学の悪い側面はそれほど感じません。ですが彼らと話していると,子どもに起きたある行動について,その子認知特性などに原因を求めずに,まずは環境要因を考えようとする。もちろん環境要因を検討する事は間違ってはいないのですが,認知的な特性を何故排除するのか。これはABAのトレーニングの悪い側面ですね。特に発達性ディスレクシアのお子さんの学習支援では,ABA一辺倒では限界がある印象です。」
応用行動分析は、スキナーさんの学習理論に基づいている。問題行動の改善や適切な行動を獲得するためにつかわれる。応用行動分析は、行動を環境要因から生じたものであり、環境要因を整理し学習すことで適切な行動が獲得できる。
問題としているのは、そこに認知特性が考慮に入っていない。いみじくも、Hebbさんが、「スキナーの見解のいくつかは、原理的には、まちがっているかもしれない。しかし実践的にはすばらしい成果をおさめた」となかなか意味深い言葉を述べている。悩める若者の現場にも通じるかも。
スキナーさんの間違っているところは、どこでしょうね。行動を考える時に、認知や感情を原因とせず環境要因としたことかな。
さてもう一点は、悩める若者からの投稿
「知らないけど、そこに困っている人がいるからやらなくてどうする!」と、学ばずに暴走するのが現場のよくある言い訳。「技法をやってる=できている」という謎の評価方法も。
Hebbさんならどんなコメントするかな…。
ちなみにおいらは「 困っているのは誰なのか?教育や福祉の現場では、しばしば子どもよりもスタッフの困り感が全面に出てくる。指導が入らない、問題行動を起こすなど。本人は困っているのか?なぜ困っている。行動の原因なりメカニズムはどうなっているんだ。認知特性それとも環境要因、両方が関連しているの。そこを知ることで、より支援が明確になる。緊急性は認めつつも、対処療法だけではことはすすまん………学びなさいと。」
スキナーさんの時代からいく年月が……。その子にとってどのような支援が必要なのか。
基礎と臨床を結ぶ……行動はあくまでも心的過程の表現…表現の中身を考えることで次のステージが見えてくる。
「問題行動は心からのメッセージ」なんちゃって。
2013年07月25日
Hebbシリーズ その3,古の自閉症児の治療教育と行動主義心理学…ふむふむ
稼業もひとまず今日でしばしフェードアウト。さて、時間がたっぷり…と言っても時とお金はすぐに消え失せて行く。ここは、しっかりプランニングと抑制機能を働かせてですね。
さて、今日の話もHebbの本を読みながら考えたこと。実は、自閉症の治療教育に行動療法が使われていた時期がある。今昔物語の世界(笑)
行動療法(behavior therapy)は、心理療法のひとつで、学習理論(行動理論)を基礎とする数多くの行動変容技法の総称。近年は広義の認知療法との交流・統合が進展し、認知行動療法と称されることも多い。(ウィキペディア)
今から三昔以上前に研究機関で行動療法が行われていた。
某所にいた尊敬すべき先輩の一人と行動療法の話になりやした。自閉症児にタスクは忘れたのだが……呼ばれたら手をあげるだったかな……オペラント条件付けで、ジュースを使ったのかな……忘れましたw。
その子は、タスクはできるようになったのですが、ジュースを吐き出した。
療育を担当したスタッフは、行動が変容したことを評価していた。でも、吐くことについて考えるべきではなかったのか ……そんな話をした記憶がある。
実は、「学習の問題への認知的アプローチ」の中で、行動主義心理学のグループの一つは「刺激一反応理論は非常に複雑であり,すぐに理論を産出することは困難であると認めた。彼らは人をすぐに援助したかったので,全体として理論をあきらめることに決めた。彼らは脳を,研究するようなものではないミステリーとして受け取る人たちである。その代わりに,彼らはなぜ人がその行動をするのかあまり気にすることなく,行動を検討した。これらの心理学者は,行動変容の支持者となり,人の行動をその結果の操作によって変化させた(報酬および罰によって ) 。」
Hebbさんは、行動主義心理学については、批判的であった。脳を研究しないことには人の「心」は分からない。
Hebbさんを読みながら、ついつい昔話(笑)
ただ、行動主義心理学の流れは脈々と特別支援教育に受け継がれているのではないだろうか。
問題行動を減らすことやできることを増やすことに主眼がおかれ、その子どもの心は置き去りにされていないのだろうか………。
2013年07月23日
Hebbを読みながら回路のつながりを考える……学びの基本だな(笑)
あれれれ、書いていた消えてしまった。真夏のミステリー。
Hebbの「心について」を読み進めている。10年前に挫折した本の一冊。確かに難解度ではトップ10にはいる。日曜日には苦労しつつも第1章を読みおえ、2章に進んだ。
なぜこの時期になり読み進めることができたのだろう。二つ上げることができる。一つは、手元にiPadがあり、分からないことはすぐにネットで調べられたこと。もう一つは、自分の知識ベースが広がったこと。この二点。知識ベースが広がることで思考や推論が楽になった。
例えば、「心について」の第1章は「生物学的問題としての心」で行動主義について触れらている。何人かの心理学者は、ネットで調べた。それと共に「学習問題の認知的アプローチ」の第4章「脳が行うこと」では行動主義心理学の限界について記述されており、それが知識ベースとなって読み進めて行く上で手助けとなる。
さらに、Hebbという人がどのような考えをしているかがわかることで、推理ベースも広がって行く。Hebbは人の心的過程……情報処理過程を明らかにすることで、より心を理解することに近づくと……ふむふむそう考えている…そしてHebbは細胞集成体という理論を使って命題に迫ろうとしている…と。
これは、おいら脳の中でいくつかの回路同士がつながったことになるわけだ。
「類似」について考えるとわかりやすい。類似は二つの単語が刺激として提示され、似ている点について答える。もし、この検査に適切な答えが出せるにはどういたら良いのか?それぞれの刺激に反応し、回路を形成していること。さらにそれぞれの回路が重なり合うことで答えを導き出すことができる。
回路が反応し、さらに重なり合うにはどうしたら良いのか、位相連鎖にも繋がるのか。答えは、11月の「細胞集成体理論で学ぶ支援のコツ」で明らかに。ただねボスは、そう簡単に教えてくれない。
学ぶには、自分なりの仮説を持たんとね。自分の作った回路とボスが語る回路が結びつかんことには。








