2012年08月
2012年08月31日
「脳の中の身体地図」から登山を考える
春に買い込んだ「脳の中の身体地図」をやっとページをめくり始めた。
ボディマップのことが書かれている。
マップは「二つの異なるものの1対1の対応を明確にするあらゆるスキーム(図式)」のこと。脳内のボディマップは、外界と身体の解剖学的構造のイメージが脳組織に体系的にマッピングされていく。
この本を読みながら思い浮かんだのが、南暑寒別の登山のこと。
登山は、プランニングすることで脳の活性化されるということは、多くの研究で論じられている。特に、下りはどのような道をたどるかによって危険度が増減される。登りあぐねている子どもに登山ポールを使わせることにした。しかし、見ているとそれがうまく活用できない。結局、一歩先を「右足は、ここ」「左足は、こっち」と一歩一歩声をかけながら下りの道筋を示した。
なぜ、登山ポールが有効に働かなかったのか?
「脳の中の身体地図」で猿に熊手を持たせるが持っただけではマップが広がらない。訓練することで視覚・触角受容野の拡大が見られた。登山ポールについても同様だろう。子どもにとっては、ポールは彼の身体の自己感に組み入れられることなく、異物でしかなかった。そのために転ばぬ先の杖になるはずだったものが、歩くのに邪魔な棒に也下がった。
ボディマップのことが書かれている。
マップは「二つの異なるものの1対1の対応を明確にするあらゆるスキーム(図式)」のこと。脳内のボディマップは、外界と身体の解剖学的構造のイメージが脳組織に体系的にマッピングされていく。
この本を読みながら思い浮かんだのが、南暑寒別の登山のこと。
登山は、プランニングすることで脳の活性化されるということは、多くの研究で論じられている。特に、下りはどのような道をたどるかによって危険度が増減される。登りあぐねている子どもに登山ポールを使わせることにした。しかし、見ているとそれがうまく活用できない。結局、一歩先を「右足は、ここ」「左足は、こっち」と一歩一歩声をかけながら下りの道筋を示した。
なぜ、登山ポールが有効に働かなかったのか?
「脳の中の身体地図」で猿に熊手を持たせるが持っただけではマップが広がらない。訓練することで視覚・触角受容野の拡大が見られた。登山ポールについても同様だろう。子どもにとっては、ポールは彼の身体の自己感に組み入れられることなく、異物でしかなかった。そのために転ばぬ先の杖になるはずだったものが、歩くのに邪魔な棒に也下がった。
登山ポールを扱うにはどの領域が必要になるだろう。
答えは,頭頂葉と前頭葉がカギを握るのだろうな。もちろん視覚野も。
そこで考えるのさ,WISCの積木の苦手な子どもは登山ポールが苦手だよなと。
知覚推理の苦手な子どもは,登山で苦労するかな。
今日はここまで
2012年08月27日
8月の例会と北海道マラソン~マラソンと登山の
26日は,ごぶサタの例会があった。。
今回は,私の応援を兼ねた茶話会。
北大教育学部前を12時30分から13時の間でメール。
一応12時50分までに行きますとメールをしてスタート。
しっかり時間設定を考えないでスタートしたため前半の入りが遅かった。
中間点2時間00分54秒。あわててスピードアップを試みたのだが,
27キロ地点で右膝がクラッシュ。えーい,北大まで何とか頑張れ。
約束の3時間49分48秒で皆のもとに。
膝の痛みを忘れ記念写真(facebookに載せました)は超笑顔。きっと,ちょっと前に私を見たら別人。痛みをこらえて歯を食いしばって走っていた。今日,その反動が来た。
皆と出会えてよかったよ。きっと,待っていてくれる人がいなかった心が折れたかもしれない。途中でバスに乗って市内観光。応援してくれる人がいるから人は頑張れるんだなと,しみじみ思った。
その後の2キロは,右膝が悪化。這うようにしてゴールでした。
結局,北海道マラソンのワースト記録を塗り替えました。その意味で,達成感よりも努力しなかった自分に対する自己否定感だけが残った。
登山とマラソン。確かに両方とも達成化を味わえます。でも,マラソンは自己評価という尺度に加えタイムという客観的データが加わる。マラソンも研究も基本的には同じ,やっただけのことが結果に現れる。冬はトレーニングをしないで,筋トレもしなくなった。今回の結果は明快。
その点登山は,良いな。評価軸が「自分が頑張ったか」という自己評価がメインであり,周囲は登った結果に対してストレート賞賛してくれる。登山はいいよな。誰もが頂上では笑顔でいられる。飲み会でも登山の話で盛り上がった。もっくんは,WAMの事業公開講座で山楽部の説明をスライドに加えていた。マラソンを終え,心は16日のプリズムの子どもたちとの登山へと。
夏休みの忘れ物を旭岳で子どもたちと一緒に取りに行くのだ。
ちなみに,アリオのスポーツクラブに通う算段をしないと。このままでは終われない。
2012年08月23日
品川さんとの学会シンポ打ち合わせ
品川さんが,千歳の少年院の取材にくるということで,ついでにLD学会の自主シンポの打ち合わせをした。千歳線の架線にビニールが引っ掛かるというアクシデントはあったが,5時半から市内の某居酒屋でパソコンを広げながらの打ち合わせとなった。
今年は,私にもっ君,産休のよっちゃんに替わり登山家ジョンが参加。それぞれが,学校教育,社会教育,福祉という領域をごぶサタの活動(もうひとつの仕事)を通して,見直す作業。今回の目的は,我々の活動は特別なものでなく,誰もが地域で発達障害を持つ青年達を支えられることが可能というメッセージを伝えること。
これがなかなかうまくスライドで表現できない。既存のシステムでうまくいく子どももいれば,必ずはみ出す子どももいる。その子たちをちょこっとフォローするには,こんな良い方法があるんだよ・・・と。そのためには,いくつかクリアしなければならい課題があるのだが。これから仙台までの苦悩は続く。
実は,今回の3人はごぶサタ山楽部のメンバーでもある。それなら,登山の話をしろよと。案の定,もっ君が南暑寒別の登山をスライドにまとめてきていた。山楽部の取り組みは,世間話というか思いつきにからのスタートだった。来年度は,プリズムと協力して形にしたいのだが,“遊び心”を失ってしまうとただの“つまらん活動”になってしまう。いろいろな仕掛けを考えながら,こどもたちだけではなく自分たちも楽しみたい。
愛知の見晴らし台学園の田中良三さんが,子どもたちと白山に登っていたよな。時間ができたら読んでみるかな。
2012年08月18日
高機能自閉症の鉄ちゃんと行く一日お散歩切符の旅
春に乗り物好きの子どもと約束していた鉄道の旅。これもパラキャリアの余禄か(笑)
本当は,札幌駅から小樽経由で長万部,東室蘭,苫小牧,札幌と周ってこようと思ったのだが・・・ちょっと時間が遅くなるので今回は,諦めた。
鉄ちゃんは,日高の方まで行きたかったのだが,様似まで行くとこれまた遅くなってしまう。
メールをやり取りしながら,ニセコまで行って綺麗の湯に入り昼食をとり戻ってくることに。往復240キロの鉄道の旅。私は,活躍の場のない210mmのズームを持って撮り鉄で参加。
8時半に待ち合わせて8時42分の小樽行きに。おっと緊急事態。
彼は駅中,私が駅外・・・。きちんと私が確認しなかった・・・反省。
よくパニックにならずに対処できな。えらい。
その後,無事に出会えて小樽に出発。彼は,予定が変更をしたことを引きずってしまった。まずい。ひとまず小樽まで向かい,時刻表を立ち読みしてから目的地を倶知安へ変更。戻って来てから桑園で温泉ひと風呂浴びて旅を終えることにした。ちょっとだけ復活。
出会えなかったことや予定の変更を気にしていたが,小樽での1時間を海まで行って,船を見たり,人力車のお兄さんと話をしたり,旧手宮線で観光客のお姉さんと絡んだりしている間に気分転換。
11時過ぎの長万部行きに乗車。のんびりとローカル線の旅を楽しみました。彼は,ちょっと音が苦手なのでヘッドフォーンをしてうまく外界を遮断。それでも景色を楽しみながら旅が続いた。
倶知安に着いた時には,ボルテージも最高。彼の携帯の待ち受けを見ると友達と私と3人でとった写真が。いつもは違うかもしれないが,今日は特別にその写真だったのか。ちょっと聞かないで終えた。
倶知安では,そばを食べてから街を散策。ちょっとボラタモ状態。怪しい写真もたくさん撮った。羊蹄山やイワオヌプリのビュースポットを探した。陸橋から倶知安駅も写すことができた。日本一おいしい水をがぶ飲みし,2時の汽車で小樽をめざした。
途中中国の留学生や超おしゃべりのおばさんと交流をしながら,小樽,手稲で乗り換え桑園の某温泉に突入。のんびりと温泉に浸かりながら,彼の悩みを聞いていた。周囲とうまくやっていきたいのだけれど,逸脱する自分。結局,学校でうまくいっていない。どうしたら良いのか・・・。過去の義務教育で出会った先生の話もしていた。「なんで,あの先生は特別支援をやっているの,通常学級でやればいいのに。僕のことを理解していないよ」・・・。
まあ,君を理解するには,並の人間では無理かもしれない。そこには,専門性ですか(笑)
言いわけも含め,旅にトラブルはつきもの。それを,どの様に対処するかが大切なこと。それとしっかり自分で時刻表を読みこめること。そして,立ち止まって考えること,自分のサイズをしっかり見ること。そんなことを露天風呂で話をした。
風呂上がりに彼はジュースとアイス,もちろん私は生ビールで今回の旅の成功を乾杯。夏休み最後に最高の思い出ができたと…。貴重な1日を費やしたけれど,旅としてはなかなかよかった。
2012年08月15日
子供たちへの登山活動の意義~tozansurujohnのつぶやき~
発達障害を持つ子も持たない子も登山活動が彼ら・彼女らの成長にいかに有用化に関してtozansurujohnさんがtwitterでつぶやいたのを勝手に転送しました。
著作権は,tozansurujohnさんにあります。
「子供たちへの登山活動の意義について」
「危険」を伝えることで、「死なないためになにをすべきか」という情報を得ようと注意を向ける。必然的に大人のふるまいに注目し、モデリングの練習となる。危険と隣り合わせのため、互いのコミュニケーション(ここ、あぶないよ等)が集団として必要となる。リズムとしてのコミュニケーションが、共感としてのコミュニケーションのベースを作り、子供同士のむすびつきを促す。
死を意識する限界状況において、食事がもたらす生をより際立たせる。死を意識することによって生を実感することは、自己を守るべきものとして再認識させる。自己に価値観を見出だすことを促進させるのだ。価値観をおかれた自我は、同行者の「よく登った」という言葉とともに、より価値あるものとして関係性の中に位置付けられる。
下山後も、登った山を視覚的に確認し、価値ある自分を思い起こすことができる。自然が自己評価を呼び起こす。生きて帰るためには、身体感覚を使わねばならない。生への欲求と、それを実現するための身体化。私と身体の意識を一体化させるとき、identityの根源に至る。社会という間柄の関係性から離れた私の感覚。独歩を始めた時の「私は私である」基本的なことを呼び覚ます。
このように個が保障されつつも、集団としての感覚を共存させることは、互いが「かけがえのない他者」であることを知覚させることにつながる。教育でもない、支援でもない、新たな関係性の地平がそこに見え隠れはしないだろうか。
以上、子供たちと山にいっての所感と妄想でした。
実は,子どもたちだけではなく,一緒に登った大人も意義を見出すことができるのですね。ごぶサタシンポにも話が出てくる「かけがえのない他者」としての関係性の形成の基盤となる。tozansurujohnさんが語る「集団」は,登山では「準拠集団」として質の転換を求められてくる。ふむふむストーリーが出来てきたな。
まあ,旭川で飲みながら妄想を膨らませるか。まずは,コンパスを含めた装備をそろえるか。








