2012年06月

2012年06月25日

秘密の居場所づくりとなんちゃって特別支援教育

最近は,めずらしくせっせと仕事をこなしている。もちろん走っているが,1キロ5分で刻めるようになってきた。
 
そんなことは,さておき
 先日は,“なんちゃって特別支援教育コーディネーター”として,通常学級に在籍している子どものためのチームを立ち上げ,担任と教科担任を含めてこれからの方向性を話し合った。即効性のある答えは出てこなかったが,子どもの現状の共通理解とささやかながら支援の方向性を見出すことができた。どれだけ,一人一人の子供にあったチームを作って対処していけるか。組織としていかに柔軟性を持てるか。
 
 秘密の居場所づくりは,着々と深化している。組織的には,認められない活動なのだろが,何となく認めてくれる雰囲気があるのがありがたい。遊びに来るメンバーは,ちょっとした息抜きの場を求めてきているのだが・・・。人が多くなりすぎてきて,名前が覚えられない。将棋同好会とその周辺が10名を超えている。放課後に数えたら,1ダースは超えていた。どう考えても将棋愛好家が中学で10%近くもいるとも思えないのだが。彼ら&彼女らは何を求めてきているのだろう,ちと不安になるが,Resetする上で必要な場所と時間なのかな。相変わらずラノベ同好会に競馬同好会も地味に活動を続けている。今日の競馬同好会は,恒例の反省会。宝塚の失敗はオルフェの力を見誤っていたという点だった()個人的には,ルーラーシップを頭で予想していた。ルーラーシップは,予想通りの走りだったが,7割のできのオルフェがそれを上回ってしまった。
 
 秘密の居場所づくりは,今年のLD学会のごぶサタの活動を通じて,パラレルキャリアと言う視点から自分が特別支援教育(いまだにこの言葉がしっくりこない)にどのようにマイナーな視点で取り組んでいるか語ってみたい。テーマは,子どもの居場所の生成と関係性を育む・・・なんちゃって。


nhlgldac at 20:48|PermalinkComments(0)日記 

2012年06月18日

6月の例会は藻岩山登山・・・その後は抄録書き&飲み会

先週末は,ごぶサタ例会がありました。
藻岩山登山。メンバスタッフ7名が参加。登山グループとロープウェイグループに分かれて頂上を目指しました。登山班に参加したのだが,先頭を歩くメンバーさんのスピードについていくのが大変。この時期ランナーとしてトレーニングは積んでいるのですが,息切れ状態。まるでよっちゃんと登山したときみたい。10分で休憩をとりました。その後もハイスピードな登山は続き,50分かからず頂上へと着きました。きっと,今までの最短記録です。朝,10キロ走ったせいか頂上ではもうバテバテ。頂上は,初夏の札幌とは思えない寒風が吹き荒れていた。昼食の後,フードコートに変身していたプラネタリウムで外を眺めながら一休みしながらロープウェイ組(歩くことを拒むメンバー)を待ちました。合流した後は,寒風吹きすさむ展望台に登り,眼下に広がる札幌の景色を楽しみました。月末に登る空沼岳もチェックしました。
 帰りはロープウェイで下まで降りて大通りで解散でした。帰りの地下歩行空間で「ジンギスカンのジン君」なるキャラを見つけて思わず相方のお土産に。ブレークするかも。
 
 続いて大学で教育心理学会の抄録書き。テーマは,「居場所から準拠集団へ」。それぞれが,BBS,ハブスタッフ,マネジメントというテーマの下で抄録作り。人の書きものに対しては意見はできるのですが,こと自分のことになるとなぜそのシステムが働かないのでしょう。思った以上に作業が停滞,『飲みに行きたいなーと』つぶやきながら,二人にプレッシャーを与え続けました。
 活動の合間に後輩たちから就職や論文の話が飛び交っていた。何とかやってきたことを形に残したいのですが(笑)
 
 「エーイ」と終えさせて飲みに出かけた。日本酒を飲みながらごぶサタの上半期の反省をするはずだったのですが,多弁なよっちゃんが,お疲れモードで緘黙状態。大笑いだったのは,よっちゃんと親子に間違われたことかな。これからは「パパの言うことを聞きなさい」と言って,説教でもするかな(笑)旨いお酒と肴を食べつつ時が過ぎていきました。〆に福島の地酒“猫魔の雫”を飲んで引き上げてきました。


nhlgldac at 19:56|PermalinkComments(0)日記 

2012年06月13日

“なんちゃって”特別支援教育は面白い~特別支援教育には違和感が~

 いつの間にか“なんちゃって特別支援教育”が面白くなってきた。
 
昼休みは相変わらず,将棋と二次元と競馬さんたちがたむろしている。いつもは閑散としているスペースが,人で埋まる。ラノベや競馬の話で盛り上がる。
最近では,授業の合間に顔を出すメンバーも。苦手な勉強の話,進路の話,バイトの話,ネットでSNSの話も飛び交っていく。本音で語る子どもを前に,ちょっと大人の振りをしつつ建前を検索しつつ,いろいろと考えるわけだ(笑)
 
先日は,低学力の私に勉強を教えてくれと。唸りながら,細胞分裂と遺伝について説明した。ある子は,空き時間に授業をさぼってくるから勉強を教えてとさすがに丁重にお断りした。もぐりの活動だけにバッシングを受けないようにしないと(笑)
いつの間にか子どもたちが望んだスペースができつつあるのかな。
 
一方でオフシャルの特別支援の会議があった。参加していてもどうもしっくりこない。専門家に相談することで,海路が開けるなんて。巡回指導員が授業や子どもを見て判断を下し指導方法を助言するなんて,すすきの街角で筮竹を使い占うようなもの。ちなみに,私は酔った勢いで占ってもらったのですが,もてる時期と女難の相が来ると言われ,舞い上がったのですが。“もて期”も“女難”も迎えないまま終盤を迎えようとしています。
余談はさておき,違和感の最大の原因は,子どもがいないのです。彼らは,何をして欲しいのか。“なんちゃって”のメンバーとは,少しずつ関係性ができてきた。そこから,学力の問題を含めていろいろな悩みを教えてくれる。スタートは,そこからだと思うのだ。自発的にやった勉強会は,関係性の中で彼らが望んだことなのだ。そこが大事なのだと思う。
 
ごぶサタを中心にパラキャリアの道を歩んできただけに,子どもと話をしながら関係性を作り,一緒にできることを考えていくという形が自分の中に出来上がっている。これは,特別支援教育システムのメインストリームから距離があるのだろうな。この距離は埋められるのかな...


nhlgldac at 20:12|PermalinkComments(0)日記 

2012年06月10日

マネジメントからごぶサタを考える~教育心理学会抄録のラフだよーん~

スタッフのマネジメント~支えてきたのは専門性と多様性~
 
ごぶサタ倶楽部のスタートは,“守られている専門家にのみ発達障害を抱える子ども・青年を支援できない”というテーゼに対するアンチテーゼとしてスタートした。北大土曜教室で関わってきた子どもたちを専門機関に委ねることは簡単かもしれない。でも,今まで育んできた関係性を切ることができるのか,それぞれが“何ができるか”自問自答した数か月だった。
 
今でこそごぶサタ倶楽部のスタッフの多くは,発達障害臨床の現場で働いている。しかし,当時,大半が学生であった。唯一の宝は,目の前にいる子どもたちのことを土曜教室のミーティングを通してスタッフの誰もが熟知(情報を共有)している。そしてスタッフが様々な学部の講座から集り“学び”補完し合っていたということ。それは取りも直さず,青年たちの多様な困難に対して,集団として柔軟かつ複眼視的に取り組めるということであった。
 
今も子ども・青年たちの困難に直面した時に,スタッフの専門性や特性(趣味や文化)を考慮し“支援チーム”を組んでいる。筆者にとって12年間に渡り,土曜教室でコーディネータ的役割を果たし,子どもだけではなく多くのスタッフと活動を共有したことは,活動をマネジメントしていく上で欠かせないものとなっている。
本シンポジウムでは,専門家不在の中でスタートした“ごぶサタ倶楽部”が,青年たちの多様なニーズに対し,いかに柔軟に対応しながらコミュニティとして形成してきたか,マネジメントという視点から論じたい。
 


nhlgldac at 10:41|PermalinkComments(0)日記 

2012年06月07日

発達障害再考(1)~言葉が乱用されることへの危惧~

 
 発達障害と言う言葉を自分なりに考えるべきことがあった
 
一つは,医療機関に行った保護者が“発達障害”と言われて,安定剤?をもらってきた。病院からは,発達障害なので配慮して欲しいと・・・。うーん,まるで禅問答。医者の言葉が足りないのか?事実関係があやふやすぎる。現実に,保護者に対してお子さんは“発達障害”という括りで説明して,投薬する医者は存在しうるのだろうか?少なくとも診断を明確にするのが医療機関の最低の義務だと思うのだが。
 
二つ目は,教育現場での“発達障害”の乱用である。特別支援教育のおかげで,“発達障害”とそれに類する言葉がポピュラーになった。学校現場では,通常と異なる行動をとる子どもに対して,“発達障害”ではないだろうかとの疑いを向けて見るようになった。ここで問題となるのは,“発達障害”という言葉が,“理解と支援”の対象ではなく,“普通”と言う枠組みからはみ出している人たちを指して言っているということである。ある意味,レッテルを貼ることで,彼らは自分たちとは異なる世界の人間なのだということを納得させる。ちょっと言葉を安易に使えば,あの人たちは発達障害だから,変な行動をするんだと・・・。
 
“発達障害”という言葉を多くの人が身近に感じられるようになったことは,うれしいことである。しかし,使い方次第では新たな“差別”を引き起こすトリガーになる可能性も大きい。
 
彼らを理解する時,「診断名なんて何の役にも立たない」と声を大にして言うのだ。一人一人の学びや納得の仕方を知った上で,“支援”なるものが始まるのだと。
 
眠くなってきた。今日はここまで


nhlgldac at 20:32|PermalinkComments(0)日記