2012年05月
2012年05月31日
マイノリティな子どもたちとの付き合い~パラキャリの成果か(笑)~
休み時間には週末の競馬の予想を語りに来る子どもがいる。オークス,ダービーと続く中でティープ産駒が高速馬場では強いかな。安田記念は,馬場状態が一つ鍵を握るかな・・・。やっぱりマルセリーナか・・・そんな話をし。
「先生,涼宮ハルヒを読んでいるんですね」と二次元のグループも登場する。ついついつぶやいた「ハルヒは神なのか」の一言で大喜び。世界を共有する仲間の発見。そのメンバーの1人から,「パパの言うことをききなさい」を是非読んでくださいと勧められる。貸しますよと・・・。近いうちに揃えて読んでみよう。
昼休みと放課後には,将棋同好会が遊びにやってくる。しっかり会則を作り,発足式も終えた。今日はトーナメント表を用意し,怪しい名人戦?が始まった。もぐりの活動だけにゆるさと柔軟さがコンセプト。部活を作ると良かったですね・・・そうなると「ゆるさ」を失ってしまう。夕暮れの縁台で涼みながら将棋を打つ,古き良き時代の将棋指しが理想なのさ。
毎日,かなり怪しい活動を繰り広げている。ふと思うのは,ごぶサタ倶楽部での青年たちとの付き合いがあればこそ,いろいろなチャンネルに合わすことができたと思います。ごぶサタのスタッフは,青年たちの持っている数少ないチャンネルに対して,それを突破口として関係性を育てていきます。これぞまさしく,パラレルキャリアでの成果ですね。と言いつつ,成果を求めてやっているわけではなく,彼らと付き合うのが面白いからなんですね。
学校社会は,しっかりした枠組みが必要。それがなければ,システム自体が崩れていってしまう。それは十分承知しています。ただ,枠組みを少しだけ柔軟にすることで見えることがあるのかと思います。
ボスに,実践で論文を書きますねと言ったのですが・・・テーマは,「多様な学校社会を支える~マイノリティの子どもたちと関係性の形成~」あまりに怪しすぎますかね。
2012年05月26日
ごぶサタ倶楽部登山部~恵庭岳登山~

今日は“ごぶサタ登山倶楽部”の今年度例会の初日。
この間,倶楽部では黎明期から大雪山十勝岳,羊蹄山,大雪山トムラウシ,ニセコアンヌプリ,大雪山旭岳,大雪山黒岳,樽前山などを登ってきました。箸やすめに塩谷丸山,藻岩山,円山も登りました。
今回は,恵庭岳に挑みました。登山倶楽部の隊長である登山家ジョンの提案でした。個人的には,札幌近郊では一番のタフな山だったので今まで避けてきました。
朝5時の札幌は本降りでした。無理かと思いながらひとまず,出かけすることになりました。見どころと温泉は多くあるので遊び感覚で(笑)会の顧問である哲ちゃんから「あきらめも大事だよ」とメールが。さすが顧問です。私たちの良いところは,柔軟性・・・言い換えればこだわりがない・・・。白老牛を食べると温泉巡りとかできることを考える・・・。これは,ごぶサタ倶楽部での関わりの中から学んだこと。無理はしないけれど,自分たちが今できること考える・・・本当か。
でも,日頃の行いの良いのか神の御加護があったのか,7時には日が差し始め,北海道三大秘湖オコタンペ湖の展望台に着いた時には宝石のように輝く湖面を見ることができました。
これは吉兆。ネイチャーフォトグラファーに取り組んだ後に,登山口にとむかいました。入山届用紙には,昨日は2名,今日は8時半を過ぎているのに誰もいない・・・。
ここで,高度な政治判断・・・因子分析。因子①雨による登山道の状態,②登山におけるメンバーのパフォーマンス,③自分たちの装備(雨対策はしっかりできていた),④山のパフォーマンス(険しさ,高さ),⑤天気の推移・・・結論は,雨対策はしっかりできたけれども本降りになったら早々に下山することを確認して登ることにした。
予想通りなかなかハードな山だった。ただ,トムラウシや羊蹄山と違い,景色が癒してくれた。眼下に広がる支笏湖や神秘のオコタンペ湖は,エンレイソウやしらねあおいが疲れを忘れさせてくれます。
頂上は,地震の影響で崩壊が進み立ち入り禁止です。仮の頂上から見る爆裂火口は,今も噴煙を立ち上げています。登りよりも下りが,しんどい山でしたがロケーションは最高でした。もちろん脳も活性化され,少し若返った気分もします。
帰りは,丸駒温泉に浸かりながらこれからの活動について話をしました。超個人的な話です。「自己成就感」を味わえない子どもや青年たちにマラソンや登山は,達成感を味わえるし,自分の足跡を確認することができます。「あー,私はこんなに頑張ったんだ」そう,「あなたは,がんばりましたよ」・・・何十キロも離れた場所から「あの山の上にあなた立ったんだよ」と。
何とか,活動の主軸の一つに「登山」を加えられないか考えています。
次の登山倶楽部の例会は,6月30日(土)空沼岳です。参加者募集です。
2012年05月24日
アイヌ民族から多様性社会を考える
道東に出かける前にアイヌ民族について少しだけ学びました。江戸時代も,アイヌ民族にたいして,松前藩をメインに弾圧と収奪は繰り広げられていました。アイヌ民族の権利や自由を奪ったのは,明治政府でした。明治政府は,北海道旧土人保護法を作りました。
この法律は貧困にあえぐ「北海道旧土人」(アイヌ民族)に対する保護を名目として作られたもので、土地、医薬品、埋葬料、授業料の供与などが定められていた。この法律は、「貧困にあえぐアイヌ民族の保護」を名目としていたが、実際にはアイヌの財産を収奪し、文化帝国主義的同化政策を推進するための法的根拠として活用された。(ウィキペディア)具体的には、アイヌ民族から土地,漁業,狩猟,文化を収奪するものでした。この法律が,1997年まで続きました。
日本得意の単一民族政策。戦前に破綻しているにもかかわらず,日本は単一民族と主張する輩は,過去に中曽根康広を筆頭に,いまだに主張する政治家が多くいます。
さて,「文化の多様性に関するユネスコ世界宣言」の第1条です。
第1条 - 文化の多様性:人類共通の遺産
文化は時間・空間を越えて多様な形を取るものであるが、その多様性は人類を構成している集団や社会のそれぞれの特性が、多様な独特の形をとっていることに表れている。生物における種の多様性が、自然にとって不可欠であるのと同様に、文化の多様性は、その交流・革新・創造性の源として、人類にとって不可欠なものである。こうした観点から、文化の多様性は人類共通の遺産であり、現在および未来の世代のために、その意義が認識され、明確にされなければならない。
この条文は,民族だけの枠組みに留まらず,人間社会に置き換えても良いのではないでしょうか。多様性な人類,言葉を変えればマジョリティの人たちもマイノリティ(発達障害,二次元,おたく・・・言葉が足りないかな・・・いわゆる一般社会から逸脱しているとみられる人たち)の人たちも共生できる社会の存在。それが,社会の基盤を強固にし,未来を創造する糧になるのかもしれません。日本は失敗しました。
何よりも,相手の文化を否定することではなく,それを認めることが大切だと思います。
単一民族,単一文化は,脅迫的な思想を創り出し,滅亡へと導く。それは,日本と行く国が歴史的に証明してきている。今の大阪の「ハシズム」みたいなものですね。
日本が再生するには,多様性を認めること。それが,社会を豊かにしていくことだと思うのですが。その意味で,特別支援教育は,トリガーとなると思うのですが,相変わらず特殊教育の枠組みから脱していません。
2012年05月19日
今日はごぶサタの例会がありました・・・いろいろと考えることが・・・
今日はごぶサタ倶楽部のジンパがありました。メンバーさん6人,スタッフ5人と久しぶりににぎやかな会となりました。
メンバーさんはスタッフと買い出しに出かけていきました。残ったスタッフは,火おこしをしていました。強風の中,うちわなしで火が起こりました。ちなみに,北大の団扇は季節にならないと店頭に出ないそうです(笑)
ジンパの最中は,肉をつまみながらゲームのマニアックな話で盛り上がっていました。いろいろと繋がりができているようでした。終わった後も,それぞれが自分の役割を探しながら,後片付けをしていました。彼らが小さい頃に,それなりに指導(SSTというより,人としての振る舞いや関係性)を教えた成果ですね。私たち自身が,青年たちの指針になっていかのかもしれません。
子どもたちと長く付き合うことで見えてくることがたくさんあります。もう9年近く付き合って生きた青年が,帰りがけに「淋しいから大学の正門まで送ってよ」と言ってきました。冗談かと思いながら顔を眺めたら,結構,本気顔でした。気合に脅されて正門まで見送りをしながら進路の話をしてきました。いろいろと悩んでいるのですね。ちょっぴり受け止めて返しました.
ごぶサタ倶楽部は,マンパワーとしてはかなり脆弱になりつつあります。それぞれが,自分の人生なり仕事を優先するのは仕方のないことです。この先,少ないスタッフを考えるとメンバーさんがある程度主体的に運営できるようになればいいかなと思っています。みんなが,成長して後に続くメンバーさんを育ててくれればね。のんびりとお酒を飲んでいられるのですが。
2012年05月17日
検診の合間に知能検査を考える
健診の合間に【個別学力検査の意義と活用】を眺めていた。内容的には,興味深い部分もあるのだが,読み終えて,これって,基本的にKABC-Ⅱが素敵な奴だと言っているの・・・。
確かに日本は,標準化された学力検査がない。全国学力テストが,教育の中央集権化や点数を上げるための常軌を逸した現場での学習支援(笑)が行われたために頓挫した。その意味で,KABC-Ⅱは,習得度と基礎学力検査を通して見られることは魅力のあることは否定しないのだが。うーむ。バリウムを飲みながら悩んでしまった。
さて,話は変わりやっぱり知能検査の話。また,余計な話だな。敵を増やすかな。
縁があり,○○○の教室の先生がかけた知能検査の資料を見せてもらった。いつものように1枚目,さらにプロフィール分析が付けられていた。その上,「軽度発達障害の心理アセスメント」の「言語理解(VC)が弱い子どもへの学習面への支援」というページのコピーが付けられていた。データを見ていくと明らかに同時処理<継次処理が見えるのだが。群指数だけの表面的な数値を比較すると「言語理解が弱い」と言えるかもしれない,でも下位検査をみると明らかに分析が間違っている。こんな,資料をもらった通常学級の先生は,ただただ戸惑うだけだよ。
自分自身,今もいくつかケースを抱えている。自問自答するのは,きちんと検査の結果を解釈できているのか。そして,それを指導に生かせるのか。検査結果を生かせないのなら,検査する意味がない。本当に解釈は難しい。だからこそ,学ぶのだと思う。
検査は子どもを知る上でのきっかけ,それをベースに新たなページを付け加えることで子どもという本が豊かになっていく。学びを地道に積み上げていこうと思うのだった。








