2019年11月11日
学校は知的Giftedの学びの場だけではなくコミュニティになりうるか・・・学会に参加し考える
土曜日は学会に参加,なんとなく出遅れてしまい。シンポは途中から。
シンポは,ふむふむ。マインドワンダリングと惰眠を貪っていた。
個人的には,学習障害は情緒障害と同じように曖昧な枠組みを続けるのかな。そもそも学習の能力を一つの障害にまとめること自体に無理がある。いまだにエビデンスだけではなく,グレイゾーンとの判別も・・・そもそも線は引けないよな。
大激怒の上野さんを見たかった。
ナンバーカードを交換してから,後輩たちと出会って世間話。そして,ひとまずフラナガンさんの話は聞いた。新しいLDの判断の話が前段,その中での二重ディスクレパンシーモデルの話がメイン。ただ時間の関係で,これからというのが途中になってしまった。フラナガンさんのSLDのモデルは,giftedのWISC-Ⅳのプロフィールにも共通しているね。
フラナガンさんも知的ギフテッドに触れているのにLD学会は向き合わないよな。どちらかというと2Eですね。新たな枠組みを作る必要があるかな・・・でも,パワーがないよな。
よっちゃんシンポは,品川さんの「教育の医学モデル+臨床心理の介入 教育現場のカースト化」という言葉が印象的・・・カテゴライズしても支援はできない、心理学は子どもの教育をするためのツール・・・そういうことだ。
H高くんの知的Giftedの話はまとまっていたのだが・・・今回のテーマは特別支援教育の枠組みの中、いわば学校教育という枠組みで知的Giftedの支援のあり方を考える。確かにエンリッチもアクセラレーションも方法論としてはありだが。時間あれば議論したかったのが、学校が知的Giftedの学びの場だけではなく、居場所やコミュニティになりうるのか・・・。
世間話の中で早期からの介入の必要について出ていたのだが・・・まあ旭岳で議論だね。
一応,ボスの発表のところにお出かけして,世間話をし,シウマイ弁当を買いホテルへと。今回は、ボス一門の宴会はお断りしホテルでマラソンの準備。