えーみんなが勉強しているぞー,そして夏カフェに向けて始動学校に行かなくても良いという選択肢が広がった意味

2022年05月23日

保護要因としてのギフ寺・・・居場所から社会的絆への考察

体調がいまひとつのせいか思考がまとまらない。相方が借りてきた「戦国小町苦労譚」を読んでいる。最低限の仕事,メールの返事だけはしているが。

ギフ寺の方は,少しずつ伽藍が整備されてきたかな。本に書いた時のメインは,土曜ギフ寺だったが,いつの間にかGifト Caféが加わり,木曜のフリースクール,そして火曜のフリースペースと。悩みはどうやって棲み分けるか・・・。

子どもたちの力を生かしながら,相互にメリットのあるもの形成できるか。そして周りを巻き込んでいく。ギフ寺におけるSDGs

以前,10年以上前にごぶサタ倶楽部(北大土曜教室のOB会)の活動をまとめて学会で発表する機会があった。子どもたちの抱える脆弱性として,「社会との関係性の弱さ」と「人とのつながり少なさ」・・・安心できる居場所がない。

そこでHirschi1969) さんの社会的絆に関連づけて報告したことがあった。彼は,「愛着」「コミットメント」「巻き込み」「規範観念」4つの要素を提示しながら主要な他者との関係を重視する関係上、「愛着」が重要な要素と述べていた。(記憶が正しければ)

「愛着」は家族や学校、仲間など、愛着を感じる相手の期待に沿い、裏切らないとする感情レベルでの絆であると。この点は,盤石とは言わないまでも形成されるつある。それをベースにしてカフェの運営をとおして損得を考えたり,ト」目標の達成に関わっている程度を意識するといった「コミットメン」もけいせいされるようになってきた。「巻き込み」という点から言うと,他の子達にも目を向けられるようになってきた。ちょっと心配なのは,「規範観念」だが😀

子どもたちの姿を見ていると「ギフ寺」のポジティブな人間関係、高い自己評価,相互の信頼関係は、学校に対してのストレスを弱めている。ギフ寺が保護要因として機能を持っているのではと考える。

 それこそDVDの仮題である『「ギフ寺」ギフテッドの子どもたちが集う場が問いかけるもの』ですね。

 



nhlgldac at 16:52│Comments(0)ギフ寺 

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